2010年12月26日日曜日

まぁるい学校

以下、初中教育ニュース(初等中等教育局メールマガジン)第157号、2010.12.24より一部抜粋。

【お知らせ】国立教育政策研究所「海外の学校建築」講演会等のお知らせ〔国立教育政策研究所文教施設研究センター〕
 このたび、OECD/CELEが出版する学校施設好事例集第4版において、世界33か国から推薦された166プロジェクトの中から日本の学校施設である「ふじようちえん」が最も傑出した作品として選出され、その表彰式と記念講演会を開催することとなりましたのでお知らせします。
http://www.nier.go.jp/03_laboratory/houdou_pdf/houdou_221208.pdf

おもしろいかたちをしたようちえん。だえんけいで校舎をぐるぐるはしりまわれる。なんて素敵!

ふじようちえんHP
http://fujikids.jp/home/

2010年12月23日木曜日

続・研究の独創性

研究の独創性(2010年12月8日)に関して。

「思想課題を共有すること」と「それへのアプローチが独創的であること」を分けて考える方がいいかもしれない。(しかし、アプローチの独創性が思想課題としての「問い」の構成のしかたを変えるようなものであれば結局「アプローチの独創性」に行きつくのかもしれないが。)

思想課題については、数年前にある研究会に参加した際に指摘していただいた。研究課題が、現実的な課題設定(現実にある問題状況とそれに対する問題意識)と思想的な課題設定(理論上批判の対象となる論点)によって設定されると考えた場合、後者にあたるもの。

この2つの課題を研究課題として示すことをずっと考えているけれど、それを構造化して示すのは非常に難しい。その理由はいくつかあるだろうが、そのうちの一つとして多くの前提となる知識が必要とされる一方で、当初の問題関心を見失わずにいることが必要となるからである。知識を深めていけばいくほど、いろいろな研究者がいろいろなアプローチを提唱していることがわかってくる。前者の課題は共通するが、後者の課題は共通していない場合や、論じるレベルが異なっている場合など、いろいろな状況が考えられる。そして研究課題を読み解くのを難しくさせているのは、論文や文献の中にその課題が十分に明示されていない場合があるからである。

再び、自戒をこめて。

【大臣会見】PISA結果/学校組織

【大臣会見】
・鈴木寛文部科学副大臣記者会見録(平成22年12月9日)
http://www.mext.go.jp/b_menu/daijin/detail/1300063.htm

■PISA結果
文科省の取り組みの関連:
「文部科学省の〔読解力強化のプログラムや活動―引用者〕というよりも、それぞれの学校現場、あるいは地域を含めた、あるいは公民館、家庭、そうした子どもの学びの現場でですね、大勢の方が熱意を持って、そしてそういう工夫を持ってですね、子どもたちの成長発達に御尽力をいただいたと、そういうことだと思います。」

今後の課題:
「残された最大の課題というのはレベル1未満がですね、読解力で申し上げますと4.7パーセント、韓国はそこが1.1、フィンランドが1.7ですから、やっぱりここが最大の課題だと思います」
「加えまして、中身、内容でありますけれども、…読解力の中で『情報へのアクセス・取り出し』というところは最上位グループであったわけでありますが、『統合・解釈』、あるいは『熟考・評価』といった部分はですね、まだ伸びしろがあると。」

他国・地域への言及:
「20年前、30年前、40年前の日本〔高度成長期の中で学力を向上することがイコール経済的な幸せに直結する―引用者〕を回顧し、そこに戻ろうと言ったところで、これはあまり現実的な話ではございません、と思っています。したがって、あまりアジア諸国の中での順位をいちいち議論するということはあまり生産的ではないと。」
「むしろですね、成熟社会であるにもかかわらず非常に成果を上げているフィンランドカナダニュージーランドオーストラリアと、こうした成熟社会における学びの動機付け、それから成熟社会における、そして文化や価値が多元化、多様化する中でですね、しかしその中で学力、あるいは読解力、あるいは数学的、科学的リテラシーの重要性ということをしっかり位置付けてですね、そしてそこを取り組んでいると、こういうところはお互いに、それぞれの持っているノウハウや経験や知見を共有しながら、共にですね、成熟社会における学びの充実という点では大いにコラボレーションをしていきたいと思っております」
「韓国に大いに見習うべき点があるとすればですね、…レベル1未満が日本に比べて優位に低いと、4分の1ぐらいですから。」
「シンガポールや韓国は、明らかにパソコンの利用と学力との間に相関があります。」

■学校組織
校長の役割:
「学校自体がそういう毎日様々な営みが起こる、正に生き物であってですね、様々なことが、良いことも、心配なことも、懸念すべきことも、いろいろなことが起こるわけですね。そうした、非常にダイナミックな組織体である学校というものに対して、そういうことをよく分かって、そしてそれの中できちんとプロデュースができるということが、やっぱり新しい学校の校長、リーダーである校長には求められるということだと思います。」(強調―引用者)

教師集団のあり方:
「今まで断片的に、初任というか新卒のところだけが強調されたりして参りましたけども、…18歳から60歳までの全体ということと、それから一人のスーパーマンの教員を作るという発想を卒業して、これまでは望ましい教師像ということでですね、もう何でもできる教師像というのをイメージしてそれを作るんだということですが、そうじゃなくて、チームとしてですね、教員集団として、そしてそれをサポートする縁側の、そういうボランティアの皆さんや、あるいはそれを支える教職大学院のプロの皆さん、そういうことも含めてですけども、そういうチームとしての教員集団で、それぞれが得意なものを持ち寄りながらお互いいろいろ支え合い、かばい合いながらということで、18歳から60歳までの良い教員集団を作っていくんだと。」(強調―引用者)

これからの学校のイメージ:
「トップマネジメントの校長、プロデューサーとしての校長、そして専門としての中堅ですね。…様々な中堅専門集団がいて、そしてその人たちが若手にいろいろ伝授していくと。しかし、若手もそういう中で大事な、教員集団全体に活力を与える、あるいは学校全体に活力を与える大事な存在としてですね、自らも学びながら、しかし子どもたちに対しては、あるいは学校コミュニティとしては中核的な存在として頑張ると、こういう全体の、これから変わっていくべき学校のイメージ。」

2010年12月20日月曜日

研究者・大学の役割

立ち止まる人、歩き続ける人(2010年5月3日)、【備忘】研究者=知識人(2010年7月8日)、研究の独創性(2010年12月8日)に関連して。

中山元「解説――カントの思考のアクチュアリティ」『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』(光文社古典新訳文庫)中山元訳、光文社、2006年.

中山元さんがカントの思想について解説する中で、カントが「哲学者の使命」と考えていたことについて言及しています。研究者や大学の役割にも関連すると思うので、下記に引用します。

「啓蒙の原理にしたがって、学者が公的な理性を行使し、時代を改善し、人々に啓蒙の原理を守らせることは、哲学者の使命だと考えていたのである。/…哲学者は啓蒙の時代にあって、たんに哲学的な理論や体系を構築するのではなく、公的に発言することによって、人々を啓蒙するつとめがあるのである。/そのために必要とされるのが、公的な発言の権利であった。…/権力がもし他者に思想を伝達する権利を奪うならば、それは思考する者に、考える権利まで奪うことになるのである。啓蒙の原理とは『自分で考える』ということであるが、自分で考えるためにはまず、公的に意見を表明する場、みずから真理と考えるものを語る可能性が与えられている必要があるのである。」(pp.373-4.)

「哲学者はみずからの思考の原則を公表し、政治や法律について吟味を加えることで、それが公正なものかどうかを判断することができる。そのためには哲学者は発言の自由を、みずからの原則を公開し、その原則に基づいて判断した結果を公開する自由を、そして他者と『共同で考える』自由を必要とするのである。」(p.375)

コメント:
・この文章の「哲学者」は「研究者」に置き換えられると思います。そして現代において「自分で考える」ことは基本的にすべての人に求められており、その訓練のための主たる場所となっている(なるべきである?)のが大学という機関であると思います。
・「自分で考える」ことの難しさも同時に感じる今日この頃。

カント「永遠平和のために」

カント「永遠平和のために――哲学的な草案」(1795年)『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』(光文社古典新訳文庫)中山元訳、光文社、2006年、pp.147-273.
中山元「解説――カントの思考のアクチュアリティ」(pp.337-76.)※「永遠平和のために」に関連する箇所のみ

構成:
第1章 国家間に永遠の平和をもたらすための六項目の予備条項/第2章 国家間における永遠平和のための確定条項

内容:
<予備条項>
①将来の戦争の原因を含む平和条約は、そもそも平和条約とみなしてはならない
②独立して存続している国は、その大小を問わず、継承、交換、売却、贈与などの方法で、他の国家の所有されてはならない
③常備軍はいずれは全廃すべきである
④国家は対外的な紛争を理由に、国債を発行してはならない
⑤いかなる国も他国の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない
⑥いかなる国家も他の国との戦争において、将来の和平において相互の信頼を不可能にするような敵対行為をしてはならない
<確定条項>
Ⅰ どの国の市民的な体制も、共和的なものであること
Ⅱ 国際法は、自由な国家の連合に基礎をおくべきこと
世界市民法は、普遍的な歓待の条件に制限されるべきこと
<追加条項>
ⅰ 永遠平和の保証について
ⅱ 永遠平和のための秘密条項

メモ:
・カントの「共和的な体制」の意味(p.170、「解説」pp.341-56.)
・カントの「自然」の概念(p.191、「解説」pp.362-7.)

疑問:
・民族/国民の訳し分け方はどのように?

引用:
・「事実としては道徳性によって善き国家体制が構築されるのでなく、善き国家体制こそが、民族の善き道徳性を育むのである。」(p.206)

コメント:
詳細な論理展開についてはついていけていないと思うが、基本的な主張を確認。

2010年12月17日金曜日

翻訳の問題

今日、図書館でハバーマスの英訳の本を見つける。タイトルは、The Inclusion of the Other。パラパラとページをめくると、なんだか見たことあるような内容…と思って研究室に帰ってきたら『他者の受容』でした!

日本語のものは独語から翻訳してあるので原題がよくわからなかった。「Inclusion=受容」かぁ。なるほど。これまでは「包摂」と訳していたけれど、こちらのほうがしっくりきます。

カタカナ語はできるだけ日本語に置き換えたいと思う今日この頃。でも「語」が「事象」と完全に一致することはないので(2重にずれますかね…)翻訳は難しいですね、と改めて。

2010年12月15日水曜日

ならう

今日とある講演を聞いていて「ならう」ということが鍵になるのではないか、と思った。ある制度あるいは組織に属することの意味を考えていたら、この言葉に思いいたった。「教える―学ぶ」という関係性については言及されるが「ならう」という言葉は最近あまり聞かない(もしくはそういう環境にいる)。

テーマはe-learning。IT環境の中での学習と既存の制度や組織の中での学習は何が違うのだろうか。単純に言うと組織や制度に巻き込まれない、もしくはその程度が異なっているということがある。つまりは、周りの人との関係性の複雑さが大きく異なっている(と予測される)。さらには、制度や組織の中で実践されている(暗黙の)「慣習」に浸ることがないということもある。(それはe-learningでは別様に制度化されているということなのかもしれない。)

これは「隠れたカリキュラム」や「正統的周辺参加」という言葉で言いあらわされてきたことなのかもしれない。「ならう」(習う/倣う)ということについても考えていきたいと思う今日この頃。

2010年12月9日木曜日

【報道発表】PISA2009年度調査の結果について

【報道発表】
・OECD生徒の学習到達度調査(PISA)2009年度調査の結果について
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/22/12/1300002.htm

※詳細な分析も出ました。

2010年12月8日水曜日

【大臣会見】PISA2009について

【大臣会見】
・OECD生徒の学習到達度調査(PISA2009)について[高木文部科学大臣コメント](12月7日)
http://www.mext.go.jp/b_menu/daijin/detail/1299985.htm

コメント:
PISAの順位が低下すると政策の失敗と結び付けられ、PISAの成績が良くなれば過去の政策の成果として提示されることになる。どちらにしても、PISAの結果はこれまでの教育政策と関連づけられる。しかし、その検証はどのように行われているのだろうか。
PISAの順位は相対的なものであり、参加する国・地域等の数は毎回変化している。PISAの結果を政策に活かすならば、国際的にみた順位の上下ではなく、日本の前回のテスト結果との比較が重視されるべきではないだろうか。

研究の独創性

社会科学における研究の独創性についてどう考えればよいのだろうか。

研究を進める上で独創性(originarity)は常に求められるものである。この独創性は幅広い意味で考えることが可能である。例えば、対象の選び方やアプローチの仕方などがあるだろう。

ただその独創性を追求するあまり、専門の枠に閉じこもった研究、研究のための研究になってしまっては意味がないのではないだろうか。社会科学は不断に社会との関わりもち、社会に対して議論を拡大していく、問題意識を共有していくという志向性をもつものであると考える。

それでは大学院生の時点でめざすべき独創性とはどのようなものだろうか。ひとつの考え方として、批判的な思考力に重点をおくのがいいのではないだろうか。すなわち「オリジナルな思考」を示すのである。そのためには先行研究を十分に検討し、論点を整理し、論理的に考察をすすめていくことが求められるだろう。

これは独創性といえるものではないかもしれないが、独創的な研究をうみだすためには必須の技量ではないだろうか。数年という短い期間でできることは限られているのであるから、今後の研究生活につながるような技量を身につけることが重要であろう。

自戒をこめて。

2010年12月6日月曜日

組織論と経営論

M先生の授業に関して。

最近ようやく組織論と経営論の違いがわかってきた。M先生の話を聞いた限りではあるが、両者は組織をみる視点がまったく異なっていると思う。そのことを知れば知るほど、それらを同時に論じようとする先生はすごいことをやっていると思うようになった。

ただ、それが無理やりの力技なのか、領域同士をつなぐ新しい試みなのか、まだ判断はつかないけれど。

2010年12月4日土曜日

続・「学術スキル」なるもの

「学術スキル」なるもの(2010年5月8日)の続き。

最近、この問題は自分が大学院生であるうちに整理しておきたいと強く思うようになった。今まさにその必要性を感じているということもあるが、それ以上に、大学に院生として所属しているという立場をもっと有効に利用したいと思うようになったからである。できれば研究室メンバー、同級生などとも問題意識を共有して、将来研究者になるために大学院生時代に身につけるべき「もの」についてもっと考えを深めていきたい。

そこで、ひとまず関連する日本語の文献を調べようと思い立つ。キーワードを「スタディスキル」として、アマゾンのデータベースを利用して検索。そこから芋づる。

●天野明弘、太田勲、野津隆志(編)『スタディ・スキル入門―大学でしっかりと学ぶために』(有斐閣ブックス)、有斐閣、2008年.
●佐藤智明、矢島彰、谷口裕亮、安保克也(編)『大学 学びのことはじめ―初年次セミナーワークブック』ナカニシヤ出版、2008年.
●学習技術研究会『知へのステップ[改訂版]』 くろしお出版、2006年.
●佐藤望、横山千晶、湯川武、近藤明彦『アカデミック・スキルズ―大学生のための知的技法入門』慶應義塾大学出版会、2006年.
●北尾謙治、石川有香、西納春雄、実松克義、早坂慶子『広げる知の世界―大学でのまなびのレッスン』ひつじ書房、2005年.
●Kathryn L. Allen(著)『スタディスキルズ―卒研・卒論から博士論文まで、研究生活サバイバルガイド』伊藤俊洋、黒澤麻美、伊藤佑子、吉田朱美(翻訳)、丸善、2005年.

調べてみると初学者向けのものが多い。「初年次教育」や「フレッシュマン」というキーワードも散見される。比較的近年いろいろな本がでているようだ。大学院生向けのものは見当たらなかった。

…と書きながら、大学院生向けの本が出るとすれば、それは悲しむべきことなのかもしれないとも思った。でも、これまで明示化されてきていないことに焦点をあてる意義はあるはず。

2010年12月1日水曜日

11月中旬~下旬にかけて海外調査で不在にしていました。
更新が滞っているうちにあっという間に12月です。

ブログを日々更新するということの難しさを実感。
できるだけ定期的に更新できるようにしたいと思います。