2011年1月31日月曜日

小川仁志『はじめての政治哲学』

小川仁志『はじめての政治哲学――「正しさ」をめぐる23の問い』(講談社現代新書)講談社、2010年.

構成(pp.3-136.):
はじめに いまなぜ政治哲学なのか
第1章 自由をめぐる論争(以下、副題のみ)
1 功利主義/2 カント倫理学/3 リベラリズム/4 コミュニタリアニズム/5 リバタリアニズム
第2章 民主主義をめぐる論争
6 権力/7 デモクラシー/8 熟議民主主義/9 シティズンシップ/10 第三の道
第3章 差異と平等をめぐる論争
11 社会主義/12 多文化主義/13 宗教多元主義/14 フェミニズム/15 福祉国家

コメント:
・文献の副題にある「正しさ」とは?正義(justice)?善(good)?それ自体が論争的。
・政治哲学で議論されている話題が網羅的に扱われている。それぞれの項(1~15)の最初では身近な例を挙げて論点を明らかにしているところがすごくいい。その後の議論が追いやすい。
・しかし、たまに議論がとんでいるところがある(たぶん、自分が詳しいところ)。
・個人的には「13 宗教多元主義」と「14 フェミニズム」が興味深かった(たぶん、自分が詳しくないところ)。

引用:
・著者が、宗教学者レザー・アスランを引きながら述べている箇所。「相手を遠ざけることによって恐怖心を取り除くことなどできません。そうではなくて、相手を認めたときはじめて、恐怖心は消え去るのです」(p.119)。なるほど、と思った。このような認識を持つことは今後より必要とされるだろう。問題は、そのような機会をどのように創り出すのかという点。もともと排除されている人と出会うのは困難であることが考えられる。また出会ったとしても、その「特殊性」のみが強調される可能性もある。つまり、「われわれとは違う」という認識は変わらないまま、ということである。「相手を認め」るということの難しさ。
・「大切なことは、なぜどっちかに有利な社会になってしまうのか」(p.121)ということを明らかにすること。「構造的」な「権力関係」(≒規範)の問題を、どのように明らかにすることができるのだろうか。ずっとそれに取り組んできたのはフェミニズムかもしれないとも思う。

2011年1月30日日曜日

OECDの調査研究

※授業の発表で引用されていた移民の子どもの教育に関する資料の出典を調査。

経済開発協力機構(OECD: Organisation for Economic Co-operation and Development)のHP(http://www.oecd.org/home)より

教育の5つのカテゴリ
 1 就学前教育・学校教育(Preschool and school)
 2 高等教育・成人の学習(Higher education and adult learning)
 3 教育・経済・社会(Education, economy and society)
 4 人的資本(Human Capital)
 5 研究・知識マネジメント(Research and knowledge management)

教育・経済・社会の3つのプロジェクト
 1 学習の社会的成果(Social Outcomes of Learning project)
 2 教育と多様性(Education and Diversity)
 3 教育・訓練政策(Education and Training Policy - Projects)

教育と多様性に関する3つのテーマ
 1 移民の教育(Migrant Education)
 2 先住民の教育(Indigenous Education)※2007年オーストラリアでセミナー開催。
 3 特別な教育ニーズ(Special Needs Education)※調査中。

移民の教育に関する調査研究(2008年1月~)
●問題設定:
 移民第一世代・第二世代に対する教育がよりよい成果をあげるには、どのような政策が有効か。

●分析アプローチ
 教育システムへのよりよい統合を測定するための3つの基準
  ・アクセス、参加、学習成果
 4つの次元にそった分析アプローチ
  ・学校への統合を促進するための主要な政策介入とその評価の特定
  ・学校における成功要因の分析
  ・低学力、早期離学、不就学を引き起こす分離要因の分析とそれらに対する主要な政策対応
  ・成功要因を活用し、分離要因に対処するような政策アプローチと実践の特定

●研究方法
 第1期:概念枠組みの設定
 第2期:資料収集
 第3期:分析と政策に対する勧告

●参加国
 オーストリア、デンマーク、アイルランド、オランダ、ノルウェー、スウェーデン

メモ:
・上記「不就学」の原語は「non-enrollers upon arrival」。実際、どのような子どもを意味しているのか確認する必要あり。

2011年1月24日月曜日

文献検索<市民権>

Key word:市民権
Database:Amazon(50件までチェック。関連するもののみ出版年順に列挙。)

●安江則子『ヨーロッパ市民権の誕生――マーストリヒトからの出発』(丸善ライブラリー)丸善、1992年.
●伊藤周平『福祉国家と市民権――法社会学的アプローチ』(叢書・現代の社会科学)法政大学出版局、1996年.
●ウィル・キムリッカ『多文化時代の市民権――マイノリティの権利と自由主義』(角田猛之、山崎康仕、石山文彦訳)晃洋書房、1998年.
●エティエンヌ・バリバール『市民権の哲学――民主主義における文化と政治』(松葉祥一訳)青土社、2000年.
●近藤敦『外国人の人権と市民権』明石書店、2001年.
●デレック・ヒーター『市民権とは何か』(田中俊郎、関根政美訳)岩波書店、2002年.
●高佐智美『アメリカにおける市民権――歴史に揺らぐ「国籍」概念』勁草書房、2003年.
●名和田是彦(編)『社会国家・中間団体・市民権』(法政大学現代法研究所叢書)法政大学現代法研究所、2007年.
●鈴木規子『EU市民権と市民意識の動態』(叢書21COE-CCC多文化世界における市民意識の動態)慶應義塾大学出版会、2007年.
●岩永真治『グローバリゼーション、市民権、都市――ヘクシスの社会学』春風社、2008年.

2011年1月23日日曜日

デジタル教科書

デジタル教科書、デジタル教材についての書籍を検索。2010年後半に盛り上がってますね。以下、発行順に列挙。

●山内祐平『デジタル教材の教育学』東京大学出版会、2010年.(2010/04/26)
●原口一博『ICT原口ビジョン』ぎょうせい、2010年.(2010/7/7)
●田原総一朗『緊急提言!デジタル教育は日本を滅ぼす』ポプラ社、2010年.(2010/8/26)
●矢野耕平『iPadで教育が変わる』(マイコミ新書)毎日コミュニケーションズ、2010年.(2010/9/25)
●中村伊知哉、石戸奈々子『デジタル教科書革命』ソフトバンククリエイティブ、2010年.(2010/9/30)
●田中眞紀子、外山滋比古『頭脳の散歩――デジタル教科書はいらない』ポプラ社、2010年.(2010/10/1)
●中村東吾『孫正義のデジタル教育が日本を救う』(角川SSC新書)角川SSコミュニケーションズ、2010年.(2010/11/10)

2010年5月には民間の協議会も立ちあげられている様子。
デジタル教科書教材協議会(DiTT)HP
「文部科学省は〔2010年〕4月22日、『学校教育の情報化に関する懇談会』を開催し、総合的な推進方策を検討することとなりました。また、昨年〔2009年〕末、総務大臣は『デジタル教科書を全ての小中学校全生徒に配備(2015年)』という目標を発表しました。/ここでいう『デジタル教科書・教材』とは、教科書や教材といったコンテンツやアプリケーションだけでなく、それを使う端末、機材やソフトウェア環境、ネットワーク・システムなどを含む『デジタル技術による総合的な教育・学習環境』を言うものと解釈します。」(デジタル教科書・教材の普及推進についてより、〔〕内引用者、「/」は原文の改行を示す。)

文科省の懇談会はこちら。
学校教育の情報化に関する懇談会(平成22(2010)年4月15日設置)
「教育の情報化ビジョン(骨子)」(平成22(2010)年8月26日公表)

第9回の懇談会(平成22(2010)年12月3日)ではつくば市の学校を視察。
つくば市学校ICT教育推進プログラム
つくば市ICT教育活用実践事例集(平成21年度)

コメント:
・情報化(デジタル化)によってこれまでの「教科書」の既成概念が徐々に壊されていくことになるだろう。それがどのような方向性をもつかという点に関心がある。
・情報化(デジタル化)の特性として、合理性(とりわけ時間の短縮による効率化)が挙げられるだろう。しかし、これが教育場面における「児童・生徒が思考する時間」や「教師が待つ時間」にも及ぶとすれば、それは懸念すべきだろう。
・例えば、教科書の文字の拡大や縮小が自由にできるようになれば、拡大教科書をつくるよりも個々のニーズに対応するものになる可能性があるのではないだろうか。
※上記の書籍、資料をしっかりと読んだ上でのコメントではないです。あしからず。

2011年1月17日月曜日

植村邦彦『市民社会とは何か』

植村邦彦『市民社会とは何か――基本概念の系譜』(平凡社新書)平凡社、2010年.

構成(pp.7-124.):
序章 「市民社会」とは何か/第1章 「国家共同体」としての「市民社会」――アリストテレスからロックまで/第2章 「市民社会」と「文明社会」――ルソー・ファーガスン・スミス/第3章 「市民社会」概念の転換――ガルヴェ訳『国富論』とヘーゲル

コメント:
・「市民社会」という概念の系譜を丹念にたどった書。この概念にまつわる諸々の用法を整理する上で、非常に参考になる。

<本書の中で引用・検討されている文献(第1章~第3章)>
1252年~『命題集注解』アクィナス
1260年~『政治学』アリストテレス(ラテン語/メルベケ訳)
1265年~『神学大全』アクィナス
1268年~『アリストテレス政治学注解』アクィナス
1483年 『政治学』アリストテレス(ラテン語/ブルーニ訳)
1559年 『神学綱要』メランヒトン
1568年 『政治学』アリストテレス(フランス語/ロア訳)
1593年~『教会統治法』フッカー
1598年 『政治学』アリストテレス(フランス語→英語/訳者不詳)
1599年 『ヴェネツィアの為政者と共和国について』コンタリーニ(英語/ルークナー訳)
1640年 『法の原理』ホッブス
1642年 『市民論』ホッブス(ラテン語)
1651年 『リヴァイアサン』ホッブス
1690年 『統治二論』ロック
1748年 『法の精神』モンテスキュー
1755年 『人間不平等起源論』ルソー
1762年 『社会契約論』ルソー
1767年 『市民社会史論』ファーガスン
1776年 『国富論』スミス
1776年~『国富論』スミス(ドイツ語/シラー訳)
1791年 『国富論』スミス(英語/バーゼル版)
1794年~『国富論』スミス(ドイツ語/ガルヴェ訳)
1820年 『法の哲学』ヘーゲル

2011年1月14日金曜日

続々・「学術スキル」なるもの

続・「学術スキル」なるもの(2010年12月4日)の続き。

研究を進めていく上で、大学院生に必要なスキルを考えてみる。

●検索:各種データベース、図書館
●管理:紙媒体(コピー、製本)、電子媒体(EndNote、RefWorksなど)
●講読:読解(SQ3R)、メモ(Note taking)
●方法:社会調査(量的調査、質的調査)、文献研究(1次資料、2次資料)
●構想:整理法(Mind Mapping、KJ法?)
●論文:論述(演繹、帰納、比較)、引用(要約、Paraphrasing)、注(各種スタイル)
●発表:紙媒体(論文、レジュメ)、電子媒体(PPt、ポスター)

「研究者としてあるべき姿」は諸先生方、諸先輩方をみて(その背中から)学ぶとしても、大学院生として研究を始めるにあたって、これらの基本的なスキルについてあらかじめ知ってて損はないと思う(と今になって思う)。

2011年1月9日日曜日

左か、右か

思い切って単純化してみる。

     左        右
<経済>
    集 団----------個 人
    社会主義    新自由主義
国家: 大きい----------小さい

<政治>
    個 人----------集 団
    リベラル   コミュニタリアン
国家: 中 立--------価値志向的

経済的(右)と政治的(右)は結びつきやすい。
経済的(右)は政治的(左)と親和性をもつ。

経済的(左)と政治的(右)の関係、
経済的(左)と政治的(左)の関係はどうなんでしょう。

2011年1月8日土曜日

大学院生の生態

大学院生の生態は世の中の不思議のひとつではないだろうか。わたしもかつては世の中の一員で、大学院生はいつも部屋にこもって何をしているのだろうと思っていた。

「大学院生っていったい何をしているんですか?」

大学院生となった現在、この問いに答えることのできる立場にいるのだが、どうも説明しにくい。

一見それはわかりやすい。
大学院生の本業は研究である。
現在いる課程の目的からいえば、その最初のステップとして修士論文や博士論文を仕上げるために在学していることになる。
もう少し長い目でみれば、研究者となるトレーニングを積んでいるということになる。

けれども、その過程で何をやっているのかがわかりにくい。
日々実際にやっているのは、文献や論文を読む、考える、まとめるという作業である。

先の問いへの回答を困難にしているのは、おそらく、この作業が恐ろしく時間のかかるものであるということに起因している。

それぞれの段階で時間がかかる。
文献を読むにしても、その前にもろもろのデータベースを用いて文献を選ばなければならない。
考えるにしても、自分の既知の知識をいちいち整理し直さなければならない。
そしてまとめるときには、自分の理解がためされることになる。このとき、しばしばこれらの作業(読む&考える&まとめる)が行きつ戻りつ繰り返されることになる。

このように時間がかかることをうまく説明できないというのが、現時点での分析。

2011年1月4日火曜日

新年明けまして、

おめでとうございます。2011年になりました。

大学に入ったのが2001年ですので、大学にいる生活は11年目です(数えやすい)。
研究者としての修行を本格的に始めてからは6年目に突入します。

この期間で自分がどれだけ伸びたのか不安になりますが、
日々の取り組みが将来につながると思ってこつこつがんばりたいと思います。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。