わたしがやりたいのは、ざっくりいえば「成員資格(メンバーシップ)」にかかわる研究です。(もっとよい表現はないだろうかと考えていますが…。)
簡単にいうと、誰がある集団の内側にいる(わたしたち/we=自)と認識されていて、誰がある集団の外側にいる(他者/others=異)と認識されているのかということです。もう少し具体的にいうと、本来は何も区別がないはずの「ひと」の集団を、さまざまな属性によって区別するということがどのように行われているのかを研究するということです。
わたしの着目している属性は、しばしば「生まれながらのもの」とみなされている、国籍、性別、人種、障害、エスニシティなどです。これらの属性は、その「ひと」に本来的に備わっているものであり、簡単に変えることはできないとみなされてきました。しかしこれまでの研究の蓄積において、このような「ひと」を分けるさまざまな区別は、ひとの認識によってつくられていることが指摘されてきました。例えば、「ジェンダー」という概念が提起されてきたのもその一つといえるでしょう。
これらの区別が、どのように生成され、維持され、また変容させられているのか。その前提にある考え方や、その境界線の歴史をたどることで、現在の区別の恣意性や構築性を明らかにできるのではないかと考えています。これまで読んだ本のタイトルで「びびっ」ときたのは、杉田敦『境界線の政治学』(岩波書店、2005年)や、佐藤郡衛、吉谷武志編『ひとを分けるものつなぐもの: 異文化間教育からの挑戦』(ナカニシヤ出版、2005年)です。
また、このような認識をもつことは、社会や集団の成員の多様性を受け入れるための一助になるのではないかと考えています。岡本智周『共生社会とナショナルヒストリー: 歴史教科書の視点から』(勁草書房、2013年)では、「社会的カテゴリ」(社会現象を整序する認識枠組み)をキーワードとして同じような問題を提起しています。
わたしが着目しているのは、このうち「国民」と「非-国民(外国人)」を分ける境界線です。現在は、「シティズンシップ」をキーワードとして論じられることが多くなっています。シティズンシップは、成員資格(メンバーシップ)の一類型といえるでしょう。
教育に関心をもつ身としては、とくに教育(政策の立案)の場面において、その認識がどのように生じているのか、またどのように政策として具体化されていくのか。その背景には、どのような要因があって、強化されたり、弱められたりするのかを明らかにしたいと考えています。
研究上のキーワードは、「シティズンシップ」、「ナショナリズム」、「(多文化)共生」で、現在は、イングランドの事例に着目しています。
しかし、この研究もまだまだ道半ば…。
んー!がんばろう!