2015年9月22日火曜日

もの忘れの一種

あることをやろうと思って、目的のものを探す。
(いらない写真を消そうと思って、携帯のフォトを開く。)
  ↓
目的のものを見つけるとともに、そういえば…と思って他のことをやり始める。
(写真を消していたら、他にも必要のない写真を見つけて次々と消し始める。)
  ↓
(途中、マイフォトとフォトストリームの違いが気になって調べだす。)
  ↓
(結局、今まで撮った写真をすべて整理する。)
  ↓
当初、何のためにそのことを始めたのかを思い出せない。
(写真の整理に時間を費やしたが、そもそもなぜやり始めたのかわからない。)
  ↓
そのうち思い出す。
(いらない写真を消すために始めた作業だったことに気付く。)


長期記憶はあまり保持されないけど、いよいよ短期記憶も…?

やりたい研究、あるいは研究を通じてやりたいこと

わたしがやりたいのは、ざっくりいえば「成員資格(メンバーシップ)」にかかわる研究です。(もっとよい表現はないだろうかと考えていますが…。)

簡単にいうと、誰がある集団の内側にいる(わたしたち/we=自)と認識されていて、誰がある集団の外側にいる(他者/others=異)と認識されているのかということです。もう少し具体的にいうと、本来は何も区別がないはずの「ひと」の集団を、さまざまな属性によって区別するということがどのように行われているのかを研究するということです。

わたしの着目している属性は、しばしば「生まれながらのもの」とみなされている、国籍、性別、人種、障害、エスニシティなどです。これらの属性は、その「ひと」に本来的に備わっているものであり、簡単に変えることはできないとみなされてきました。しかしこれまでの研究の蓄積において、このような「ひと」を分けるさまざまな区別は、ひとの認識によってつくられていることが指摘されてきました。例えば、「ジェンダー」という概念が提起されてきたのもその一つといえるでしょう。

これらの区別が、どのように生成され、維持され、また変容させられているのか。その前提にある考え方や、その境界線の歴史をたどることで、現在の区別の恣意性や構築性を明らかにできるのではないかと考えています。これまで読んだ本のタイトルで「びびっ」ときたのは、杉田敦『境界線の政治学』(岩波書店、2005年)や、佐藤郡衛、吉谷武志編『ひとを分けるものつなぐもの: 異文化間教育からの挑戦』(ナカニシヤ出版、2005年)です。

また、このような認識をもつことは、社会や集団の成員の多様性を受け入れるための一助になるのではないかと考えています。岡本智周『共生社会とナショナルヒストリー: 歴史教科書の視点から』(勁草書房、2013年)では、「社会的カテゴリ」(社会現象を整序する認識枠組み)をキーワードとして同じような問題を提起しています。

わたしが着目しているのは、このうち「国民」と「非-国民(外国人)」を分ける境界線です。現在は、「シティズンシップ」をキーワードとして論じられることが多くなっています。シティズンシップは、成員資格(メンバーシップ)の一類型といえるでしょう。

教育に関心をもつ身としては、とくに教育(政策の立案)の場面において、その認識がどのように生じているのか、またどのように政策として具体化されていくのか。その背景には、どのような要因があって、強化されたり、弱められたりするのかを明らかにしたいと考えています。

研究上のキーワードは、「シティズンシップ」、「ナショナリズム」、「(多文化)共生」で、現在は、イングランドの事例に着目しています。

しかし、この研究もまだまだ道半ば…。
んー!がんばろう!

「研究する」ときの立ち位置

以下、O先生の最近のコメント。

とりあえず、社会学の「言ったモン勝ち」「こんなこと考えている俺ってかっこいいだろ」の側面や、教育学の「こうあるべきだ」「エビデンスに基づいた政策的インプリケーションですよ」の側面には、もうあんまりお付き合いできないところで、お仕事していくことになるのかなと思います。

このコメント、気になったのでちょっと考えてみる。先生は何から距離を置こうとしているのか。
とくに気になったのは、最後に挙げられている側面。これは教育(政策)にかかわる研究において、常に強調されていること。「エビデンス・ベース(根拠に基づく)」というもの。なぜ、ここからも距離を置こうとするのだろう。

前者の態度には「研究<自分」、後者の態度には「事実<規範」という共通点がみいだせるように思う。両者の態度は、現実に生じていることを描写するという作業を行うとき、その描写をゆがめる要因になりうるのではないか。つまり、自分のみたいようにものをみてしまったり、こうあったらいいなという理想を優先させてしまう。

自分をどこに置くのか、現実をどうみるのか。

追記:
先日、J-waveに出ていた小曽根真さんが音楽と自分の位置についてお話しされていたのを聞いて、研究と似てるところあるな~と思いました。

2015年9月19日土曜日

あること、ないこと

ついつい、「ないこと」について考えてしまうけど、
「あること」に目を向けるといいんだって。

ポジティブに考えること。
普段、こういう考え方してないなぁ。

楽しいメールを受け取りたい

すでに、ワーカホリック?

すぐにメールの確認をしてしまう。仕事が気になる。
短期的にこなすことに時間を費やしている。

よくない。これはよくない。
一年半前の感覚を思い出す、今日この頃。

バランス、バランス。