2010年6月4日金曜日

M先生の授業

現在受講しているM先生の授業。学校組織・経営論の基本概念がテーマ。すごく興味深い。けれども、難!

とりわけ前回の授業。「作動」「環境」「予期」などなど…なんか難しい。もう少し身近な言葉で語ってもらいたい…とは思うけれど、わたしが追いつくしかないのでしょう。(Tさんはちゃんと質問していたし。追いついている人は追いついているのです。)ルーマンにはもともと詳しくないのでその時点で無理はあるのですが。

その中で興味をもったワイクさん。『組織化の社会心理学』や『センスメーキングインオーガニゼーション』という本を書いていらっしゃる。(しかし、後者はなぜタイトル訳されなかったんでしょうね?『組織における意味形成』でもよさそう。)Amazonの書評を見たけれど、この方、「複雑系」の方らしい。院生仲間から「M先生は今複雑系に取り組んでいらっしゃる」と聞いたことがある。このワイクさんも、キーパーソンなのですね。

複雑系。気になる。

首相の交代

今日、菅さんが首相になったようです。

政治はいろいろな利害が絡みすぎると本当に身動きとれなくなりそう。動くためにどう調節するのか。利害の優先順位付けと、でもそれを流動化させること。

いろいろな手腕が問われそう。難しい。

2010年6月2日水曜日

首相の辞任

今朝、メールチェックをしようとしたら「首相辞任」という文字が。なんてこったい…。いつのことかと思ったら今日の午前中だったらしい。政治家の「責任をとる」というのは辞任という形が一番妥当なのか?それまで積み上げてきたものは??もちろん、首相としてものすごい圧力の中で仕事をしているのだろう。自分の思う通りにいかないこともままあるはずだけど。

普天間の問題については、世論に見える形で問いかけがなされたのはすごく重要なことだと思う。ずっと誰も「国民」にみえるかたちで手をつけなかったのだから(自民党の時代にも方向性は模索されていたけれど、これほど大きな「国民」的な議論にはならなかった)。だけれども基地問題であれ、安全保障であれ、大きな枠組みについて問い直すエネルギーをもっていなかったようであること(新聞からの情報)はすごく残念。

だけれど、そのことを首相ひとりの責任に帰すこともできないだろう。内田樹さんの日記にも書かれています(mixiで「うちだ たつる」で検索すれば出てきます)。

研究のもつ意味

暴力、威嚇、権威などの手段ではなく、論理で主張するということ。

その限界を認識する必要があるだろう。でも、その意義もきっとある。

学問の作法②

日本での(教育学)研究は、そういう点が問われる気がする。価値の問題を含むから?政治学も同じ?難しい。

海外の研究者は、どのようにこの点を回避するのか?さっき言ったように、対象をある程度突き放す?

確か、イギリスにいた時、中途半端な立場を取らないようにするということが言われていた。バランスをとる思考は論述しにくい、と。これは一つの学問の作法(テクニック?)なのかもしれない。それが学問に求められていること。

一方で、日本では、中立に努めよという要請が強い気がする。自分を隠すというか。資料に語らせる、と教えられた。

どちらもそれなりに筋が通っていると思う。どちらをより重視するのか。なぜ、そうするのか。

自分の行為や主張に常に自覚的でいるということは非常に大変…。

倫理的・道徳的に問われる

問題と向き合う自分。

倫理的?あるいは道徳的に問われている気がする。

対象をある程度突き放すことが必要なのだろうか。

そうすることで、伝わるもの、伝わらないもの。

2010年6月1日火曜日

学問の作法

書き方の問題です。

論文とはどういうものか?

とある知り合いの人には、日本の論文は盛り込まれている情報が多いと言われた(そういうものが評価されるということ)。その他にも、身体や骨はなくとも「手」を細かく描写すれば足りるとされる、など。

つまりは、情報提供が主流ということか?「論じてはいない」ということか?その必要性を感じていないということか?なんのための学術論文なのか?とりわけ、社会科学において。

昨日の話と繋がってくるかなぁ?