●2008年12月
<特集=多文化教育のいま>
榎井縁「『多文化教育のいま』を考えるにあたって」(pp.7-23.)
総務省の「多文化共生推進プログラム」について、「第1回目の研究会が開かれる直前に対象者が限定されたという経緯がある。すなわち、先住民族、旧植民地出身者、オーバースティの問題がその対象から外され、日本語でコミュニケーションできない人たちに共生の対象が限られた」(p.7)。ここでは、どのような経緯でそうなったのかは述べられていない。しかし、「教育の分野で今この『多文化共生』の波に乗ることは、積み上げてきたものを絡みとられてしまうような危険性を感じている。〔それは〕歴史も人権も抜きにして、沢山いるのですから一緒にやりましょうという、マジョリティ側を問わない発想」(p.8)があるからだという。「『多文化共生教育』にしても、旧植民地出身者の教育権を保障する運動をしてきたものたちが、資料で確認される限り1991年から今後増えるであろう外国人の子どもたちを想定して戦略として使用するようになったことば」なのである。
また多文化教育のアプローチとして、①マジョリティ側の認識変革に重きを置いたもの(life style approach)と、反差別の視点にたったマイノリティ側の権利保障を推進するもの(life chance approach)を挙げた上で、ニューカマーの教育問題を権利保障の問題といち早く捉えたのは、在日コリアンの教育運動にかかわってきた教育実践者や研究者たちであったという(pp.9-10.)。しかし、「教育を受ける権利の主体として外国人の子どもが認識されなければそれは放置されていても容認されうる」(p.12)。
その一方で、日本人の子どもたちへのアプローチは、「足元の文化的多様性の認識や日本の学校文化の変容をめざす、多文化教育」とは程遠い方向に向かっているようすが伺えるという(p.16)。
コメント:
・現在の日本の多文化共生政策に対する教育分野からの視点。コリアNGOセンターから発行されている雑誌でも座談会が組まれたという(雑誌発注―8/19)。
・マジョリティ/マイノリティという枠、日本人/外国人という枠で論じてしまうことの限界。その中の多様性をどのように認識するのか。
・同等の権利を保障することと、差異を承認すること(C. テイラー)の重要性。その際、承認される「差異」とは何か。誰がその基準を決定しているのか。それはどのような根拠によって正当化されているのか。
[8/19―修正]
[8/27―著者、題目追加]
2010年8月19日木曜日
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