2010年9月19日日曜日

全国民主主義教育研究会編『政権交代とシティズンシップ』

全国民主主義教育研究会編『政権交代とシティズンシップ』(民主主義教育21・別冊)同時代社、2010年.

※全国民主主義教育研究会の研究集会での講演集。

●二宮厚美「民主党政権下の日本と新自由主義」(pp.7-39.)
・人間関係の貧困(ネットカフェ難民について)
「肉親を含めて人と人とのつながり、誰かが援助するとか誰かが支えるというつながりがないから連帯保証人がいない。…/人間関係、人が人を支えるサービスが同時に不足すると、お金がないということと合わせて、人々は従来とは違う貧困に陥れられる。」(p.25)
・所得の再分配
筆者が主張するのは「垂直的所得再配分」。すなわち、「まず上層あるいは大企業から所得を吸い上げて垂直的、つまり縦型で、上の資金を下に回す」こと(p.29)。言い換えれば、「応益負担ではなくて応能負担原則を貫いて能力のあるものから賃金を吸い上げる」こと(p.30)。これは所得税や法人税を累進的に課す(累進課税)に近い?

●小玉重夫「いま求められる政治教育と学校のあり方―シティズンシップ教育の観点から」(pp.41-60.)
・批判的にみること
「価値対立がある論点について議論をし、自分が何らかの判断をして意思決定をしていく」(p.45)
・社会構造の変化と学校教育の課題
「司法制度改革にしても国民投票法にしても、世の中の動きは、市民が法の制定や運用の意思決定に直接参加するようなルートを拡大していく方向」(p.54)にある。このような状況の中で、「労働と政治とはこれまでの学校の中でタブー視されてきた」(p.56)が、「学校こそが労働や政治というものを正面から引き受けなければならない」(p.50)という。
・シティズンシップ教育の意義
「シティズンシップ教育というのは基本的にアマチュアリズムの教育なのです。無能な市民というと語弊がありますが、『有能な』無能者というか(笑い)、成熟した無能な市民、そういう人を育てるというところを重視したいと考えているのです。…競争ではなくて批評と論争に開かれた教育です。そこでは、知識の批評化とかカリキュラムの市民化ということが求められるのではないかと思っています。」(p.56)
 …知識の批評化=知識を論争(対立や葛藤)の文脈に位置づける(p.57)
 …カリキュラムの市民化=新しい教師の役割?
 「専門家集団と市民が同等な関係になる。そして学校の先生がそれを橋渡しするような存在になる」(p.57)
・公共性とそのジレンマ
「公共性とは、異質なものを排除しない多様性、複数性がその条件をなしております。その際に、異質性を排除しないということ、排除しないことを通じて様々な社会的な問題を開かれた形で批評空間に載せていくということ、これらが追求される必要があると思います」(p.58)
「寛容や共感によっていろいろな人が共存し合うということと、ラディカルデモクラシーがいっている論争し批判し合うということの二つをどう両立させるか」(p.59)

●石田英敬「『言論による政治』は復権するか―ネットの時代と民主主義」(pp.61-87)
・消費社会がもたらした変容
「消費者をある意味で非常に子どもに近い状態に置いておくことが社会的に非常に活性化する。…あらゆる視聴者を子ども扱いしていく。受動的なメッセージの受け手に変えていく。」(p.66)

コメント:
・二宮氏の講演記録を読んでトリクルダウン説を思い出した。トリクルダウン説とは、「『富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が浸透(トリクルダウン)する』とする経済理論あるいは経済思想である」。しかし実際には、「国民全体の利益としては実現されない」と批判されている(Wikipedia「トリクルダウン理論」)。ここで、例えば税制改革を行えばトリクルダウンは実行可能なものとなるのだろうか?もしくは別の点が問題となるのか?
・小玉氏の講演記録は、氏が主張するシティズンシップ教育の意義について読みやすくまとめられており、理解しやすかった。シティズンシップ教育推進の背景要因としては、福祉国家体制から市民社会主導型の国家体制への組み換えが行われていることを一番重視しているようである。その他の論文で要確認。
・石田氏は今後のメディアのあり方を考える上で興味深い論点を提示していると思った。とりわけ関心をもったのは、後半の公共性や社会性を担保するような情報基盤を作らないといけないという主張である(pp.77-86.)。それが共有される範囲というのはどのように想定されているのだろう?ここでは「日本」という社会が暗黙に前提とされている気がするが、インターネットというメディアの特性を考えると、その共通枠組みはいろいろな範囲で考えることが可能となるのではないだろうか。加えて、対面での直接のコミュニケーションについても考慮に入れる必要があるのではないか。ネットだけを使っているとしても、「みんながオタクになる(p.78)わけではないだろう。関連する点として、メディアと無関係な人間というのは想定されているのだろうか?

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