花崎皋平『〈共生〉への触発―脱植民地・多文化・倫理をめぐって』みすず書房、2002年.
「Ⅵ章 マイノリティの思想としてのフェミニズム―上野千鶴子との対話」(pp.209-280.)
※初出―『情況』1992年10、11月合併号所収。
共生について:
「花崎 理解というのは自分の持っている解釈体系にいれることなんです。…自分の解釈体系はあてはまらないんだ、適用したらまずいんだっていうことを知るところで、いったん自己を相対化する。それが『共生的な了解』の出発点だと思います。」
「上野 理解にはカタルシスがあるでしょう。共存にはカタルシスがないんです。」
「花崎 ああそうですね。」
「上野 つねにフラストレーションがある。」(pp.270-271.)
その他:
・地球を閉鎖系と考える思考
「上野 あなたの繁栄は誰かの犠牲のもとで成り立っているという、その発想が出てこないんです。」(p.227)
・制度を閉鎖系と考える思考(p.258)
「上野 制度論的な議論は、あるシステムを閉鎖系としてとらえたときにだけなりたつような議論ですね。私は近代主義批判というものはどれもすべて―とくに近代経済学批判がそうですけれども―システムを閉鎖系としてとらえたとたんにおきた間違いを衝いているのだと思っています。」(p.258)
・関係的カテゴリーとしての男性/女性(p.228)
「花崎 女性の反差別の運動は、性差なき平等をめざすものではなく、性差を差別にしない関係の表現ということになりますね。」(p.230)
「上野 私たちは弱者である、社会的少数者であるということを認めて、弱者のままで、社会的少数者が誰からも抑圧されずに生存できる、ということが実はゴールだったんじゃないか。」(p.232)
・概念の権力性
「上野 言説というものは、あるいは概念というものは、つくったとたんにもうすでに権力的なものですよ。フェミニズムだってそういう言説の権力―対抗権力と呼びたいですが―は行使していますから。」(p.237)
・思想は思想の問題
「上野 思想は思想の問題として解けるんだから、ここにこういう欠点があるとか、こういう間違いがあるということはその限りできっちり言い合うことができると思うんですが。」(p.237)
・普遍主義への問い
「上野 私はやっぱり基本的に関係的な場にとどまって考えたい。…私は前に『複合差別』という言葉をつくったりしたんですけれど、どうもうまくいかない。」(p.234)
「上野 『人権』という概念、そういう普遍的な概念のもとに、多様な差別の問題を包括できると考えていらっしゃいますか。」(p.240)
「花崎 女性差別と、障害者差別とか、そういうそれぞれのコンテクストがあって、それぞれのコンテクストがそれぞれのコンテクストで、対話的な関係を成立させるところでとどまるべきだということですか。」
「上野 それ以上は私にはわかりません。」(p.259)
・「他者」の思想としてのフェミニズム
「上野 フェミニズムは徹底的に『他者』の思想ですから、あんたにわかるわけない、わかってたまるか、ということろがあります。わかってもらえなくてもいい、ただしわからないままに私をあるがままに認めてほしい、そういう思想です。」(p.257)
「上野 自己決定の要求には、私に必要があるときに、その必要を満たす能力のあるあなたには、私にそれを提供する義務がある、ということまで含むはずなんです。」(p.275)
コメント:
長い引用になってしまいましたが、興味深い論点がいくつも出されていたので。備忘。上野さんからの引用が多いですね…。
2010年9月7日火曜日
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読み直して思ったが、上野さんのようなフェミニズムの立場に立つ時、法律・制度論や政策論については建設的な話は可能となるのだろうか。「開放系の制度学」なら可能??どのように論じられているのか要チェック。
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