2012年4月17日火曜日

池田輝政他『成長するティップス先生』

池田輝政、戸田山和久、近田政博、中井俊樹『成長するティップス先生: 授業デザインのための秘訣集』玉川大学出版部、2001年.

今年度の授業を受け持つにあたって、以前購入したこの本を最初から読み返す。非常に参考になりました。

メモ:
・学生に問題意識をもたせ、自分で学習するための手がかりを与えるような授業(p.84)
・授業時間が90分とすると、全体を20分、60分、10分に配分し、それぞれのパートの構成を練る(p.85)
《導入》今回の主題はなにか、なぜそれが必要なのか、それを学ぶことでなにが習得できるかを最初に明らかにしておく(p.85)/主題にかかわりをもつ問いや、具体例からスタートする(p.86)
《展開》仮説を設定・検証したり、「なぜ○○は△△△なのか」という問いを立て、クラス全員でその理由を探る謎解き型(問題解決型)の展開(p.88)
・質問や発言をするということは授業に参加し、それゆえに授業に貢献することなのだという意識を学生にもたせる(p.103)

2012年2月9日木曜日

ポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども』

ポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども』(熊沢誠、山田潤訳)、東京:筑摩書房(ちくま学芸文庫)、1996年.

授業で講読している文献(Anthony Giddens, The constitution of society: outline of the theory of structuration, Berkeley and Los Angeles: University of California Press, 1984)に引用されているので、読んでみる。

一番気になった点は、「野郎ども」の悪事の数々を淡々と聞き取り、記述するウィリスを、学校の先生はどのようにみていたのだろうという点である。学校の先生が「彼は研究者だからね」と思っていたなら、それはすごいことではないだろうか。(もしわたしが教師だったら、嫌味のひとつでも言いたくなりそうである…「気楽な立場でいいですね。」)気になる点である。

一方で、「野郎ども」には反学校文化としてまったく別の世界が存在すること、それがありありと記録されている点が、とても新鮮でおもしろかった。残念ながら原著には当たれていないのだが、とても丁寧に、臨場感たっぷりに翻訳してあるという印象を受けた。

後半の分析については、その枠組みがいろいろな事象に応用できるのではないかと感じた。特に、抑圧―被抑圧の関係性が維持される状況とそのメカニズムについて、うまく言い当てているように思われる。

つぶやき

Business = [busy-ness] absorbed my energy.

ここのところ、忙しさに負けている…。
(ちなみに、インフルエンザ・ウィルスにも負けてしまった…。)

が!しかし!負けてばかりいられないのです~(>_<)

2011年10月27日木曜日

研究することと、そうではないことを考えてみる

・研究することと、知識が豊富であることは同じではない。(すべての事例を調査すればいいという訳ではない。)

・研究目的と関連のない根拠の提示は、何も説明していないことと同じである。《類似》研究目的と関連のない情報の提示は、読み手の思考の妨げとなるだけである。(雑多な情報をすべて提示すればいいという訳ではない。情報の引き算を心がけよう。)

・研究することは「現実」を批判的に考察するが、否定するわけではない。(個人的には、人びとの現実に寄り添わない研究は聞く耳を持たれないと思う。単なる価値の押し付けにしかならない気がする。「なぜ、あなたがそれを言うのでしょう。」)

・問題意識を持つことと、研究上の問題(課題)設定を行うことは同じではない。(この点については議論があるかもしれない。以下同様。)

・研究することが、問題(とされるもの)の解決に直接的に寄与するわけではない。(直接的に寄与したいのであれば、研究という行為は迂遠である。他のアプローチをお勧めしたい。)

・最後に、中国のことわざ:「授人以魚 不如授人以漁」

2011年10月20日木曜日

『共生と希望の教育学』合評会

『共生と希望の教育学』の合評会がFD(Fucalty Development=大学における研究・教育の向上・改善)の一環として開催されました。この本にはわたしも共著者として参加しています。このうちの1章を担当させていただきました。本を書くということ自体が初めての経験でしたが、今回の合評会はテキストを読まれる側として参加する(自分の書いたものが批評を受ける)初めての場となりました。

3名の先生方から各章について、また本書全体についての批評をいただきました。今回の批評はそれぞれ視点が違っていました。例えば、自分の研究課題に引きつけてのコメント、一冊の本として(各章については一つの論考として)みた場合のコメント、本作りのプロセス自体に対するコメント、というものです。

コメントを聞きながら思ったのは、自分の本(文章)が読まれるというのは、書き手を離れて解釈されるということなんだなと。こんな当たり前のことなのですが、すごく新鮮な経験でした。

目の前に「人(わたし)」はいるのです。けれども、読まれているのは「テキスト」なのです。「研究の批判は、人格の批判ではない」とはよく言われることですが、それを身をもって実感しました。「あぁ、こういうことなんだな」と妙に腑に落ちたのです。

問われているのは、論述の一貫性であり、妥当性です。それを書いた人はいるのだけれど、もうその人の手を離れてしまっているものになってしまったのです。あの子は、旅立ってしまったのです(笑)。

すごく貴重な経験となった今日のFD。開催の段取りをしてくださった皆さまに感謝!です。

この本(『共生と希望の教育学』)について気になった方はこちら。
https://www.tulips.tsukuba.ac.jp/dspace/handle/2241/113652

2011年10月10日月曜日

「大学院生学際研究フォーラム2011」

本日、学祭で行われた学術企画「大学院生学際研究フォーラム2011」(院生プレゼンバトル)に参加してきました。この企画の趣旨は「異分野の方にも分かりやすく自分の研究テーマを伝える」というものです。

今回は6名の院生の方の発表を聞きましたが、どのプレゼンテーションも迫力があって素晴らしいものでした(発表15分、質疑5分)。

とりわけ最優秀賞に輝いた方のプレゼンはまるで舞台での演技をみているようで、完全にその世界に引き込まれました。声の出し方、間のとり方、スライドの構成、そして何よりもメッセージがひとつに絞られていたのが印象的でした。(「スティーブ・ジョブズのようだった」というコメントもありました。)欲をいえば、研究内容に関してもう少し丁寧な解説があってもよかったかなと思います。

以下は何点か気づいた点のメモ。

●プレゼンのスキルと研究の内容のバランス
・どちらもバランスよく配合するのは至難の業…。今回の発表は「プレゼン>研究」と「プレゼン<研究」の2タイプに分かれるような気がしました。今回評価されたのは、どちらかというと「プレゼン>研究」タイプの発表でした。研究のオリジナリティーを短時間でアピールするのは難しいですね…。

●研究分野自体のおもしろさ
・自分の研究を発表するにあたって、導入部分で自分の研究が属すると思われる研究分野の特色を説明するのは効果的だと思いました。今回の評価の観点には入っていませんでしたが、この視点を入れたプレゼンは評価が高かったように思います。研究の位置づけが分かりやすくなるので、全体の理解度が増します。その分野がどのような知見を集積しているのか…いわゆる先行研究のレビューにあたるのかもしれませんね。

●人文科学・社会科学研究の少なさ
・今回は情報工学などの研究が多く、いわゆる文系の発表は少なかったです。プレゼンを聞きながら、自分の研究を15分でプレゼンしてほしいと言われたらどうするだろう、とずっと考えていました。そうすると、やはりなかなか難しいのですね…。通常は、専門家以外の聞き手を意識せず研究しているということになりますね。

●学祭でアピールすることの意味
・当初、なぜわざわざ学祭で研究企画をやるのか、疑問に思う節がありました。それよりも普段からできるような交流の方が重要ではないかと思っていました。しかし今回参加させてもらって、高校生や他大学から来た方のコメントを拝聴して「外からの目」というものを意識する必要があると感じました。もちろん、外見ばかり意識しすぎて中身がないというのは問題ですが…。大学内だけではなく、また専門家集団ではない人々と研究に関する知見を交換することの重要性を感じました。この点については、後々もう少しうまく説明したいです。

2011年10月4日火曜日

堀井憲一郎『いますぐ書け、の文章法』

堀井憲一郎『いますぐ書け、の文章法』筑摩書房(ちくま新書)、2011年.

その文章を「いったい誰に向けて書くのか?」。文章を書くときに必要な姿勢(意識)について詳述した書。雑誌記事に関するものだが、論文にも当てはまるところは多い。読み手を想定しない文章の「ひとりよがり」がとことん指摘されている。例示がわかりやすく、またひらがなが多く読みやすい本でした。何よりも勇気づけられる。今書いているもの、あるいは書かなければいけないもの。それを誰に、どうやって届けようかと思案することの重要性。誰かに「届ける」ために文章を書く、ということに気づかせてくれる一冊。

…と、書評(?)風。

2011年9月26日月曜日

4大学ジョイント・セミナー

23日~25日の3連休で「4大学ジョイント・セミナー」に参加してきました。

このセミナーは今年で2回目。4つの大学で集まって、院生同士がお互いの研究についてディスカッションをしました。といっても、そんなに堅苦しいものではなく…それぞれが研究を進める上で抱える悩みを共有したり、院生同士の研究ネットワークを広げることも重要な目的です。他大の院生の方と話す中ですごく刺激を受けました。

また今回は東北大学での開催ということで、東北の被災地の様子を見てくることも(自分の!)目的のひとつでした。台風の影響で松島以北には向かうことができませんでしたが、塩釜の市場と松島海岸を見てきました。

塩釜では市場を見に行きました。ほぼ終わりかけの時間に行ったので人はまばら…それでもお店の人が声をかけてくれてうれしかったです。ホタテとツボダイを買って、その場で焼いてもらいました。おいしかった!さらには近くのお店で海鮮丼を食べました。おいしかった!!魚介を焼いてくれた市場の人に聞いたら、午前中はもっと人が多いけれど、震災前よりは少ないというお話でした。

松島海岸の方は建物の一部が壊れていたり、営業していないお店がいくつかありましたが、観光客はけっこう戻ってきている印象を受けました。今回は円通院で数珠を作ってきました。瑞巌寺に行くまでの林道の途中に、ここまで津波が来たということを示す看板がひっそりと立っていました。

今回はさらに北の沿岸部には行けませんでしたが、台風の被害を含めてまだまだ大変な状況なのだろうと思います。できることは少ないかもしれませんが、復興に向けて懸命に頑張っている人のことを忘れないようにしたいと思います。

2011年9月12日月曜日

内藤正典・阪口正二郎編著『神の法vs.人の法』

内藤正典・阪口正二郎編著『神の法vs.人の法――スカーフ論争からみる西欧とイスラームの断層』日本評論社、2007年.

※読書会での課題文献。初回は序章&第Ⅲ編。
序章 スカーフ論争とは何か(内藤正典)/第Ⅲ編 鼎談:共生に向けて何を提起するか――そして私たちにとっての意義(樋口陽一・内藤正典・阪口正二郎)

コメント:
・憲法学と社会学という異なる学問分野から「スカーフ論争」にアプローチした著書。「規範から見るか、それとも現実から見るかでその視角は大きく異なっている」(p.313)。このことを踏まえつつ、「規範と現実との間に、どれほどの乖離があるのかを明示する」(同上)ことが目指されている。
・序章では非常にわかりやすく論点が説明されている。これまで知らなかったイスラームの諸側面も数多い。「ムスリムは、一方で世俗主義の西欧と対立し、他方ではキリスト教の西欧と対立していることがわかる。…スカーフ論争は、もはや単に政教分離をめぐる議論ではない。」(p.25)

論点はどこか?
・樋口さん「一人ひとりの個のアイデンティティを重視するのか、それとも一つの文化のあり方そのものを人のアイデンティティの中心に置くのか。」(p.285)
・内藤さん「個と集団との関係として、どうしても西欧側は均質な集団としてムスリムを捉えがちですが、実はイスラームは、信徒を一つの共同体と捉える反面、個人の信仰のありようは、そもそも誰も問えない構造なのだと理解する必要があるのです。」(p.307)

・内藤さんの発言は、ある意味ではどの宗教にとっても同じように言えるのではないだろうか。キリスト教においても、いろいろな考え方を持つ人がいるだろう。それがイスラームに対してのみあてはめられるという非対称性があるのかもしれない。また「原理的に言えばイスラームには、政教分離の発想がない」(p.14)ということも押さえておく必要があるだろう。ただし、政教分離の発想がないことを否定的にとらえる必要はない。つまり、教会組織と国家が対立しあってきたヨーロッパの状況とは大きく異なる歴史的文脈を持つということである。

メモ:
・「非宗教性/ライシテ(laïcité)」と「政教分離」

2011年9月8日木曜日

小島寛之『使える!経済学の考え方』

小島寛之『使える!経済学の考え方――みんなをより幸せにするための論理』筑摩書房(ちくま新書)、2009年.

引用:
「この本で読者のみなさんに提案しているのは、『無条件で何かを信じる』のではなく、『どんな条件のもとでならそれが正当化されるか』、そういうふうに考えましょう、ということです。つまり、『結論』を急ぐのではなく『前提』を明らかにすることが大事だ、ということです。」(p.8)

コメント:
数学を使って、自由や平等や公正を論じる経済学の著書。ロールズやセンも取り上げられている。経済学というと何となくとっつきにくいイメージがあるが、数学を使うことで議論の筋が見えやすくなることもある。食わず嫌いではいけない…。