丸山真男「『君たちはどう生きるか』をめぐる回想――吉野さんの霊にささげる――」(pp.307-338.)、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』岩波書店(岩波文庫)、1982年(初出:新潮社、1937年).
・「客観的」認識について
「世界の『客観的』認識というのは、どこまで行っても私達の『主体』の側のあり方の問題であり、主体の利害、主体の責任とわかちがたく結びあわされている、ということ――その意味でまさしく私達が『どう生きるか』が問われているのだ、ということを、著者はコペルニクスの『学説』に託して説こうとしたわけです。認識の『客観性』の意味づけが、さらに文学や芸術と『科学的認識』とのちがいは自我がかかわっているか否かにあるのではなくて、自我のかかわり方のちがいなのだという、今日にあっても新鮮な指摘が、これほど平易に、これほど説得的に行われている例をわたしはほかに知りません。」(p.317、強調引用者)
・知識と道徳
「『知識』――実は個々の情報に過ぎないもの――のつめこみと氾濫への反省は、これまたきまって『知識偏重』というステロ化された叫びをよび起し、その是正が『道徳教育の振興』という名で求められるということも、明治以来、何度リフレインされた陳腐な合唱でしょうか。その際、いったい『偏重』されたのは、本当に知育なのか、あるいは『道徳教育』なるものは、――そのイデオロギー的内容をぬきにしても――あの、私達の年配の者が『修身』の授業で経験したように、それ自体が、個々の『徳目』のつめこみではなかったのか、という問題は一向に反省される気配はありません。」(p.325)
・修身と社会科
「戦後『修身』が『社会科』に統合されたことの、本当の意味が見事にこの『少国民文庫』の一冊のなかに先取りされている」(p.325)
メモ:
・知識観=(社会)構成主義
・学力観=多文化教育、異文化間教育
・「修身(道徳)」と「社会科」=シティズンシップ?
2011年8月8日月曜日
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