福田誠治『フィンランドは教師の育て方がすごい』亜紀書房、2009年.
はじめに/第1章 フィンランドの教師の一日/第2章 フィンランドの教育の特徴とは/第3章 カリキュラムが変わる、教育学が変わる/第4章 探究的教師とは―フィンランドの教師養成制度/第5章 OECDとEUの教育観の転換
要約:
本書は、フィンランドの学力の高さを支える要因のひとつとなっている教師に着目し、その背後に教師の活動を支える教育哲学と教育行政が存在していることを指摘している。どちらかというと、後者のうちの教育哲学により注意を促しているように思われる。「分かれ道は、教育、授業、知識に関する解釈が日本とフィンランドではまったく異なるという教育哲学の違いにある」(p.49)。その転換点は、1994年『国家カリキュラム』にみいだせるという(pp.29-30; 65-66; 72-75; 80-81.)。ここでは、教える教育から学びの支援へと教育の概念が変化した(p.29; 72; 81.)。「教育とは、学び方を教える、知的好奇心や批判的な疑問を育てる、多様で幅広い答えを見つけられるようになること」(p.81.)を意味するようになったのである。そして、社会構成主義がこの変化を支えているという(pp.80-85.)。
実際には、「教師は共通の基礎となるべき知識・技能を教科書に沿って教えていくものの、テストによって競争させるなどの方法で勉強を強制したりはせず、個人作業を重視して、教師が一人ひとりに分かる授業を相違・工夫しながら教育を実現しているという、古い方法と新しい学力観との不思議なバランスが成立している」という(p.119)。このことは本書の第4章で紹介されている教育実習の授業例にあらわれているように思われる。
疑問:
・構成主義と社会構成主義について(pp.80-84.)
個人の文脈を重視した知識の構成とそれを社会的なものにするということがどのように架橋されるのだろうか?理念としては後者、実態としては前者に力点が置かれているように感じた。
引用:
印象的だったのは、以下の記述。
「フィンランドが時代を読み切っていることは確かだ。それでもなおあえて言えば、それが子どもを引き上げる教育でなく押し上げる教育だとしても、子どもたち自身にとっては『しんどい』ことなのだ。他人のせいにでいないということは、逃げ場のないということである」(p.50)。
2011年7月19日火曜日
2011年6月2日木曜日
プラン・ジャパン、はじめました。
プラン・ジャパン(http://www.plan-japan.org/)のプラン・スポンサーシップとプラン・マンスリー・サポーターはじめました。
他国の子どもたちの支援に自分自身が直接かかわることはできないけれど、それでも何かできることはないだろうかと考えていた。前々から何かしたいとは思っていたのだけれど、なかなか踏ん切りがつかなかった。でも就職を機にはじめてみようと思う。どのような支援のあり方が望ましいのかについて、まだ答えを持ち合わせているわけではない。でも、とりあえずはじめてみて、自分のお金がどのように使われるのかをモニターすることで、そのあり方について考えを深めていければと思う。(伊藤恭彦『貧困の放置は罪なのか』2011年2月26日)
他国の子どもたちの支援に自分自身が直接かかわることはできないけれど、それでも何かできることはないだろうかと考えていた。前々から何かしたいとは思っていたのだけれど、なかなか踏ん切りがつかなかった。でも就職を機にはじめてみようと思う。どのような支援のあり方が望ましいのかについて、まだ答えを持ち合わせているわけではない。でも、とりあえずはじめてみて、自分のお金がどのように使われるのかをモニターすることで、そのあり方について考えを深めていければと思う。(伊藤恭彦『貧困の放置は罪なのか』2011年2月26日)
2011年5月31日火曜日
文部科学省「定住外国人の子どもの教育等に関する政策懇談会」
「定住外国人の子どもの教育等に関する政策懇談会」の意見を踏まえた文部科学省の政策のポイント―現在の進捗状況について(平成23年5月10日)
(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kokusai/008/toushin/1306627.htm)
3.「入りやすい公立学校」を実現するための3つの施策
[ポイント]公立学校に定住外国人児童生徒が存在することを前提に、「入りやすい公立学校」を実現するために、主に3つの施策を充実する。
-第一に日本語指導の体制の整備
-第二に定住外国人児童生徒が、日本の学校生活に適応できるよう支援体制を整備
-第三に公立小中学校へ入学・編入学する定住外国人児童生徒の受入れ体制について、制度面の検討を含め、環境整備を行うとともに、上級学校への進学や就職に向けた支援を充実
4.学校外における学習支援
[ポイント]子どもだけでなく、大人に対する日本語学習についても充実を図る。
5.外国人学校における教育体制の整備
[ポイント]ブラジル人学校等が充実した教育内容を提供できるようにする。
6.留学生に対する日本語教育や就職支援
[ポイント]留学生に対する日本語教育や就職支援の抜本的な充実を図る。
7.更に検討を要する課題
[ポイント]以下の課題には、関係府省庁、自治体等の関係機関が連携して総合的に取り組むべく、今後、検討を行う必要がある。
・外国人の受入れに関する基本方針の策定(日本語教育、子どもの教育、雇用、職業訓練、社会保障、住宅等)。
・外国人の子どもの教育課題に対処するための関係機関との連携の在り方。
(行政とNPO法人との情報・課題共有、国・地方自治体・企業等による基金の創設等)
・外国人に対する行政サービスの在り方(ワンストップサービスでの対応、地方自治体間の行政サービスの格差の是正、地方自治体における外国人の生活全般に関わるソーシャルワーカーの育成の支援等)。
・日本語教育の総合的推進
・外国人学校の法的な位置付け及び日本語教育への支援。
(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kokusai/008/toushin/1306627.htm)
3.「入りやすい公立学校」を実現するための3つの施策
[ポイント]公立学校に定住外国人児童生徒が存在することを前提に、「入りやすい公立学校」を実現するために、主に3つの施策を充実する。
-第一に日本語指導の体制の整備
-第二に定住外国人児童生徒が、日本の学校生活に適応できるよう支援体制を整備
-第三に公立小中学校へ入学・編入学する定住外国人児童生徒の受入れ体制について、制度面の検討を含め、環境整備を行うとともに、上級学校への進学や就職に向けた支援を充実
4.学校外における学習支援
[ポイント]子どもだけでなく、大人に対する日本語学習についても充実を図る。
5.外国人学校における教育体制の整備
[ポイント]ブラジル人学校等が充実した教育内容を提供できるようにする。
6.留学生に対する日本語教育や就職支援
[ポイント]留学生に対する日本語教育や就職支援の抜本的な充実を図る。
7.更に検討を要する課題
[ポイント]以下の課題には、関係府省庁、自治体等の関係機関が連携して総合的に取り組むべく、今後、検討を行う必要がある。
・外国人の受入れに関する基本方針の策定(日本語教育、子どもの教育、雇用、職業訓練、社会保障、住宅等)。
・外国人の子どもの教育課題に対処するための関係機関との連携の在り方。
(行政とNPO法人との情報・課題共有、国・地方自治体・企業等による基金の創設等)
・外国人に対する行政サービスの在り方(ワンストップサービスでの対応、地方自治体間の行政サービスの格差の是正、地方自治体における外国人の生活全般に関わるソーシャルワーカーの育成の支援等)。
・日本語教育の総合的推進
・外国人学校の法的な位置付け及び日本語教育への支援。
2011年5月24日火曜日
教科書の読みかた
小学生や中学生のころ、教科書は勝手に読み進めてはいけないというふうに感じていた。それは、しばしばその先に「答え」が載っていたからではないかと思う。最初から順繰りに新しいページをわくわくしながらめくるのは、それはそれで楽しかった。しかし同時に、本は最初から順を追って読むものだ(し、そうしなければならない)という考え方や習慣を身につけてしまったようにも思う。拾い読みや探し読みが苦手な原因は、こういうところにもありそう。
2011年5月23日月曜日
エヴァ・フェダー・キテイ『愛の労働あるいは依存とケアの正義論』
エヴァ・フェダー・キテイ『愛の労働あるいは依存とケアの正義論』岡野八代・牟田和恵監訳、白澤社、2010年.
日本語版への序文/はじめに(pp.1-21.)
引用:
・「本書における私の焦点は、こんにちにおいても、家族の内外で依存のケアに対して多くを期待される女性たちの苦闘にあったのです。」(p.3)
・「私たち人間が深く相互依存する生物であるだけでなく、ときには、必然的・不可避の依存状態を経験するのだということを私たち自身が理解しない限り、男女平等の真の実現はユートピアのままでしょう。」(p.3)
・「依存労働で果たされている移民労働の役割を学ぶことを通して、国家の制度に限定された正義の概念は、こんにちのグローバル化した世界では適さないことがわかってきたのです。」(p.4)
・「家庭は、依存者にとっての避難場所であり、政治理論がすべての人menは平等であるといくら主張しても、家族を廃絶することなどできない。」(p.10)
・「私が言いたいのは、その相互依存は一方的な依存から始まるということだ。」(p.12)
・「本書は、依存労働をより公平に分配することについて論じるものである。」(p.15)
コメント
・このような翻訳書を読むと、草稿の段階で本当に多くの人からコメントをもらっていることがわかる。日本語の文献でそのような記述があるものはあまり目にすることはない。それはきっと、研究にたいする志向を反映しているのではないかと思う。とりわけ、「独創性」に対する考え方の違いを感じる。アイデアを盗まれる、という話を聞くこともあるが、本来、研究を進める上でそのようなことを警戒する必要はないはず。研究の主眼はもっと別のところにあるのではないか。特に社会科学は、何らかの「問題」を取り上げ、自分の立場を明確にしつつ、論じていく作業をしている。研究は、その問題を共有し、多様な視点から考えを深めていくことに価値があるのだろう。その意味では、より多くの人と問題関心を共有するというのは、とても重要なことであると思う。「独創性」というものは、ひとりの独立した思考者(independent thinker)としての「成果」を提示するところに生まれるものだと思う。
・「序文」と「はじめに」しか読んでいないが、著者はとてもわかりやすい言葉で(こなれた翻訳にも助けられている)自身の立場を明確にしている。このような書き方ができるようになりたいし、さらに読み進めていきたい。
日本語版への序文/はじめに(pp.1-21.)
引用:
・「本書における私の焦点は、こんにちにおいても、家族の内外で依存のケアに対して多くを期待される女性たちの苦闘にあったのです。」(p.3)
・「私たち人間が深く相互依存する生物であるだけでなく、ときには、必然的・不可避の依存状態を経験するのだということを私たち自身が理解しない限り、男女平等の真の実現はユートピアのままでしょう。」(p.3)
・「依存労働で果たされている移民労働の役割を学ぶことを通して、国家の制度に限定された正義の概念は、こんにちのグローバル化した世界では適さないことがわかってきたのです。」(p.4)
・「家庭は、依存者にとっての避難場所であり、政治理論がすべての人menは平等であるといくら主張しても、家族を廃絶することなどできない。」(p.10)
・「私が言いたいのは、その相互依存は一方的な依存から始まるということだ。」(p.12)
・「本書は、依存労働をより公平に分配することについて論じるものである。」(p.15)
コメント
・このような翻訳書を読むと、草稿の段階で本当に多くの人からコメントをもらっていることがわかる。日本語の文献でそのような記述があるものはあまり目にすることはない。それはきっと、研究にたいする志向を反映しているのではないかと思う。とりわけ、「独創性」に対する考え方の違いを感じる。アイデアを盗まれる、という話を聞くこともあるが、本来、研究を進める上でそのようなことを警戒する必要はないはず。研究の主眼はもっと別のところにあるのではないか。特に社会科学は、何らかの「問題」を取り上げ、自分の立場を明確にしつつ、論じていく作業をしている。研究は、その問題を共有し、多様な視点から考えを深めていくことに価値があるのだろう。その意味では、より多くの人と問題関心を共有するというのは、とても重要なことであると思う。「独創性」というものは、ひとりの独立した思考者(independent thinker)としての「成果」を提示するところに生まれるものだと思う。
・「序文」と「はじめに」しか読んでいないが、著者はとてもわかりやすい言葉で(こなれた翻訳にも助けられている)自身の立場を明確にしている。このような書き方ができるようになりたいし、さらに読み進めていきたい。
2011年5月17日火曜日
アンソニー・ギデンズ『社会学の新しい方法規準』
アンソニー・ギデンズ『社会学の新しい方法規準[第二版]――理解社会学の共感的批判』松尾精文、藤井達也、小幡正敏訳、而立書房、2000年.
まえがき(pp.7-9.)/第二版への序論(pp.11-34.)/第一版への序論(pp.35-52.)
引用:
・「人ひとりの『毎日の実践』は、どのようにして社会システムの構造特性の再生媒体となりうるのか。」(p.22)
・「グローバル化が進展するシステムの再生産なり変容は、あらゆる種類の日々の意思決定や行いと関係している。」(p.23.)
コメント:
・「毎日の実践」と社会システムに関係があるとして、それは具体的にどのようなかたちで結びついているのだろうか。例えば、政策決定過程においては、それがどのように反映されることになるのだろうか。また、人びとは(わたしも含め)このことに対してどれほど自覚的になれるのだろうか。
・これだけ読むだけでもかなりの時間がかかった。登場人物も多く、検討対象の範囲も幅広い。博識。
まえがき(pp.7-9.)/第二版への序論(pp.11-34.)/第一版への序論(pp.35-52.)
引用:
・「人ひとりの『毎日の実践』は、どのようにして社会システムの構造特性の再生媒体となりうるのか。」(p.22)
・「グローバル化が進展するシステムの再生産なり変容は、あらゆる種類の日々の意思決定や行いと関係している。」(p.23.)
コメント:
・「毎日の実践」と社会システムに関係があるとして、それは具体的にどのようなかたちで結びついているのだろうか。例えば、政策決定過程においては、それがどのように反映されることになるのだろうか。また、人びとは(わたしも含め)このことに対してどれほど自覚的になれるのだろうか。
・これだけ読むだけでもかなりの時間がかかった。登場人物も多く、検討対象の範囲も幅広い。博識。
内田隆三『社会学を学ぶ』
内田隆三『社会学を学ぶ』(ちくま新書)筑摩書房、2005年.
序章 社会学を学ぶ人のために(pp.7-29.)
引用:
・「本質的なことが大切だ」(pp.10-11.)
・「大切なのは、自分の記述はこういう仕方で理論的で、実証的であると説明することだろう。」(p.16)
・「現象学と構造主義は近代の知のもっとも先鋭的な不安の形象である。」(p.24)
コメント:
・そういえば、「いったい何が問題なのか?」といつも研究室の先輩から問いかけられていた。「本質的なことが大切だ」という考え方は、この問いかけと意味するところは同じだと思う。それを頭が痛くなるほど考え詰めていくと、「無駄なものを削ぎ落と」(p.10)すという作業にならざるを得ない。それは、自分の中にあるあやふやな形をした思考や感情に、言葉を与えるプロセスであるともいえるかもしれない。
序章 社会学を学ぶ人のために(pp.7-29.)
引用:
・「本質的なことが大切だ」(pp.10-11.)
・「大切なのは、自分の記述はこういう仕方で理論的で、実証的であると説明することだろう。」(p.16)
・「現象学と構造主義は近代の知のもっとも先鋭的な不安の形象である。」(p.24)
コメント:
・そういえば、「いったい何が問題なのか?」といつも研究室の先輩から問いかけられていた。「本質的なことが大切だ」という考え方は、この問いかけと意味するところは同じだと思う。それを頭が痛くなるほど考え詰めていくと、「無駄なものを削ぎ落と」(p.10)すという作業にならざるを得ない。それは、自分の中にあるあやふやな形をした思考や感情に、言葉を与えるプロセスであるともいえるかもしれない。
2011年4月27日水曜日
宮本孝二「ギデンズの社会学」
宮本孝二「第7章 ギデンズの社会学」新睦人編『新しい社会学のあゆみ』有斐閣、2006年、pp.199-219.
構成:
1 構造化理論の提唱/2 モダニティ論の展開/3 ハイ・モダニティと第三の道
引用:
・ポストモダンに対する批判
「ギデンズのポストモダニティ論批判の要点は、ポストモダニティ論が示す認識論への過剰な執着、主体の過剰な脱中心化、構造の過剰な分散化、モダニティの過剰な実体化にある。」(p.214)
コメント:
・現在、授業でギデンズの「The Constitution of Society」を講読中。社会学の素養がないため、解説書を読む。
・濵嶋朗、竹内郁郎、石川晃弘編『社会学小辞典【新版増補版】』有斐閣、2005年.も昨日購入。
・一時期、ポストモダン(他のポスト…も含む)に関する文献を好んで読んでいた。まだうまく理解できていないが、ギデンズとの立場の相違を意識していきたい。
構成:
1 構造化理論の提唱/2 モダニティ論の展開/3 ハイ・モダニティと第三の道
引用:
・ポストモダンに対する批判
「ギデンズのポストモダニティ論批判の要点は、ポストモダニティ論が示す認識論への過剰な執着、主体の過剰な脱中心化、構造の過剰な分散化、モダニティの過剰な実体化にある。」(p.214)
コメント:
・現在、授業でギデンズの「The Constitution of Society」を講読中。社会学の素養がないため、解説書を読む。
・濵嶋朗、竹内郁郎、石川晃弘編『社会学小辞典【新版増補版】』有斐閣、2005年.も昨日購入。
・一時期、ポストモダン(他のポスト…も含む)に関する文献を好んで読んでいた。まだうまく理解できていないが、ギデンズとの立場の相違を意識していきたい。
2011年4月22日金曜日
ひと言
久しぶりの投稿です。
3月11日の大地震とその後の片づけ、そして新年度のあわただしさに飲み込まれて、これまでなかなか更新できませんでした。
しかし!4月も終盤になってようやく生活が落ち着いてきたので、徐々にブログを再開できればと思っています。
まだまだ余震が続いています。原発の問題も含め、少しずつでも事態が好転していきますように(>_<)
3月11日の大地震とその後の片づけ、そして新年度のあわただしさに飲み込まれて、これまでなかなか更新できませんでした。
しかし!4月も終盤になってようやく生活が落ち着いてきたので、徐々にブログを再開できればと思っています。
まだまだ余震が続いています。原発の問題も含め、少しずつでも事態が好転していきますように(>_<)
2011年2月26日土曜日
伊藤恭彦『貧困の放置は罪なのか』
伊藤恭彦『貧困の放置は罪なのか――グローバルな正義とコスモポリタニズム』人文書院、2010年.
構成(pp.9-96.):
序章 貧困に苦しむ人々と私たち/第1章 貧困の放置は罪なのか――貧困の撲滅をターゲットとするグローバルな正義(日常生活に潜む新マルサス主義、日常生活に潜むリバタリアニズム、日常生活に潜むナショナリズム)
引用:
・経済学者ジェフリー・サックス「貧困の罠」(poverty trap)
「サックスは『貧困の罠』から抜け出すための有効な対外援助は、資本の蓄積、経済成長、世帯の所得増という三プロセスの後押しだとしている。」(p.25)
・問題設定
「本書の課題は貧困を撲滅するための富裕国の責任を明らかにし、誰もが貧困から解放され、人間的な生活をおくれる地球を実現するようなグローバルな枠組みを構想する点にある。この構想は最終的には国際的な制度や国際的な公共政策によって可能となるだろう。本書で力点をおくのは、そうした制度や政策の前提となる倫理的な問題である。」(p.28、強調引用者)
・正義について
「『正義』は『各人にその人のものを与える』(suum cuique tribuere)という規範である。」(p.33)
「『等しきものは等しく扱え』というのが正義の規範的要求である。」(p.70)
・(日常生活に潜む)リバタリアニズムへの批判
「一人一人が自分の能力を行使して獲得した財と、自発的交換によって移転した財からなる財の分配結果は正しいという考え方は二つの点で誤っている。第一に自己労働に基づく自己所有という考えは、各人の労働がそもそも可能となるためには、それを支える社会制度が不可欠であるという決定的な問題を考慮しておらず、その意味で倫理的基準とはならない。第二にこの考え方は、労働と交換の背後にある個人間の差異を真剣に考えていない点でも倫理的基準とはならない。」(p.60、強調引用者)
・(リベラル・)ナショナリズムへの応答
「リベラル・ナショナリズムの議論は本章で検討の対象としている困窮者の状況改善を優先する見解に基づく、富裕国から貧困国への財の移転の責任と義務を覆しはしない。さらには財の移転のためのグローバルな制度形成に反対する根拠ともならない。」(p.86)
・問いへの回答
「『貧困の放置は罪なのか』と問われることがある。これに対する本書の答えは、罪を罪として判定する制度上の基準が不在であり、そのことを放置していることが罪なのだということになる。」(p.74)
コメント:
・研究室の読書会で読み始めた本。
・リバタリアニズムへの批判が興味深かったが、この批判の論理と有効性についてはまだ十分に理解できていない。引き続き検討する必要あり。
・著者の戦略は、検討課題を「最低限」のものに限定する(=貧困の撲滅)ことで、一定の倫理を成り立たせようとする点にある。ただし、そのような考え方(ミニマリズム?)自体成り立つのだろうか?(偶然、別の授業でミニマリズムが成り立たないという主張を目にしたところだった。)
・わたしが手にしている財(=所得)のどこまでが正当なものなのだろうか。実際、どのような条件であれば各自の財を移転しようとするかについて話し合った。
・本書では対象外とされているが、その財が実際どのように使われる可能性があるのかという点は無視できないと考える。
構成(pp.9-96.):
序章 貧困に苦しむ人々と私たち/第1章 貧困の放置は罪なのか――貧困の撲滅をターゲットとするグローバルな正義(日常生活に潜む新マルサス主義、日常生活に潜むリバタリアニズム、日常生活に潜むナショナリズム)
引用:
・経済学者ジェフリー・サックス「貧困の罠」(poverty trap)
「サックスは『貧困の罠』から抜け出すための有効な対外援助は、資本の蓄積、経済成長、世帯の所得増という三プロセスの後押しだとしている。」(p.25)
・問題設定
「本書の課題は貧困を撲滅するための富裕国の責任を明らかにし、誰もが貧困から解放され、人間的な生活をおくれる地球を実現するようなグローバルな枠組みを構想する点にある。この構想は最終的には国際的な制度や国際的な公共政策によって可能となるだろう。本書で力点をおくのは、そうした制度や政策の前提となる倫理的な問題である。」(p.28、強調引用者)
・正義について
「『正義』は『各人にその人のものを与える』(suum cuique tribuere)という規範である。」(p.33)
「『等しきものは等しく扱え』というのが正義の規範的要求である。」(p.70)
・(日常生活に潜む)リバタリアニズムへの批判
「一人一人が自分の能力を行使して獲得した財と、自発的交換によって移転した財からなる財の分配結果は正しいという考え方は二つの点で誤っている。第一に自己労働に基づく自己所有という考えは、各人の労働がそもそも可能となるためには、それを支える社会制度が不可欠であるという決定的な問題を考慮しておらず、その意味で倫理的基準とはならない。第二にこの考え方は、労働と交換の背後にある個人間の差異を真剣に考えていない点でも倫理的基準とはならない。」(p.60、強調引用者)
・(リベラル・)ナショナリズムへの応答
「リベラル・ナショナリズムの議論は本章で検討の対象としている困窮者の状況改善を優先する見解に基づく、富裕国から貧困国への財の移転の責任と義務を覆しはしない。さらには財の移転のためのグローバルな制度形成に反対する根拠ともならない。」(p.86)
・問いへの回答
「『貧困の放置は罪なのか』と問われることがある。これに対する本書の答えは、罪を罪として判定する制度上の基準が不在であり、そのことを放置していることが罪なのだということになる。」(p.74)
コメント:
・研究室の読書会で読み始めた本。
・リバタリアニズムへの批判が興味深かったが、この批判の論理と有効性についてはまだ十分に理解できていない。引き続き検討する必要あり。
・著者の戦略は、検討課題を「最低限」のものに限定する(=貧困の撲滅)ことで、一定の倫理を成り立たせようとする点にある。ただし、そのような考え方(ミニマリズム?)自体成り立つのだろうか?(偶然、別の授業でミニマリズムが成り立たないという主張を目にしたところだった。)
・わたしが手にしている財(=所得)のどこまでが正当なものなのだろうか。実際、どのような条件であれば各自の財を移転しようとするかについて話し合った。
・本書では対象外とされているが、その財が実際どのように使われる可能性があるのかという点は無視できないと考える。
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