2013年4月22日月曜日

シンポジウム「2013 外国人の人権はいま」

シンポジウム「2013 外国人の人権はいま」
2013年4月20日(土)14時~17時@東京

配布資料:
『日本における外国人・民族的マイノリティ人権白書 2013年』

2012年7月に施行された改訂入管法等をめぐる報告が中心であったが、その他にも、東日本大震災、子どもの教育、国籍、戦争責任、ヘイト・クライム、人権に関する国際動向等、「外国人の人権」に関する幅広いトピックが網羅されていた。

一つ一つの報告に十分な時間が割けない点が残念だったが、現在の日本において「外国人」の方々が直面している状況を理解するのにとてもよい機会となった。

●外国籍の子どもの教育は「恩恵」としかみなされていない。それは、憲法26条において教育を受ける権利が「国民」に限定されていることに起因している。しかし一方で、憲法30条において納税の義務を負うのは「国民」だとされているが、実際は「国民」以外も納税をしている、とのこと。なるほど。このような非対称性が意識されないところに問題があるのだろう。法律は恣意的に解釈・運用されうるということ。

●国籍に関しては2つの主張がなされていた。一つは、国籍によって差別されないこと、もう一つは、権利として国籍を認めることである。発表された方もおっしゃっていたが、この2つの主張は方向性が異なっている。しかし、矛盾はしていない。「日本国籍」のもつ意味が異なるレベルで問われているということだと思う。この点については、自分でもう少し整理したい。

●ヘイト・スピーチに関する報告があったが、このような言葉が自分に向けられることを想像するだけで恐ろしいと思った。「日本政府は、憲法21条の表現の自由をタテに、ヘイト・クライム法の制定を拒否している」(p. 61)という。自分の存在が脅かされる中で、自由な発言などできるだろうか。「『マイノリティの表現の自由』」を守るためにも、差別と迫害のヘイト・クライムを処罰するべきである」(同上)という主張には同意。声の大きい人の言うことだけがまかり通るような社会にはなってほしくない。

●最後の質問でも出されていたが、「国民/外国人」という枠組みには限界があるのではないかと思った。「居住者」という視点をどう活用していくかが、今後の課題だろう。その際に、人権との兼ね合いはどうなるのか?要検討。

2013年4月11日木曜日

【審議会情報】道徳教育の充実に関する懇談会(第1回)

【審議会情報】道徳教育の充実に関する懇談会(第1回)

第1回会合(平成25年4月4日)の配布資料が公開されました。
たくさんありますね…。

配布資料(第1回)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/096/shiryo/1333167.htm

議題:
1.座長の選任等について
2.道徳教育の現状と課題について
3.「心のノート」の改訂方針について
4.その他

「教科化」という言葉は表には出てこず。
「心のノート」の改訂が今後の主題となる様子。

2013年3月28日木曜日

島宗理『インストラクショナルデザイン』

島宗理『インストラクショナルデザイン: 教師のためのルールブック』米田出版、2004年.

インストラクションとは、「何らかの行動を引き出すための仕掛け」のことである(p.7)。「何らかの行動」(標的行動)にあたるものは、《知識》と《技能》と《遂行》に区別できる。

それぞれ、「知っていること(聞かれたら答えられる)」、「できること(やろうとすればできる)」、「実際にすること」を意味する(p.14)。特に、「できる」と「する」は違うということに注目。

このうち、インストラクションが解決策となるのは、《知識》と《技能》に原因がある場合である(p.94)。それでは、《遂行》に原因がある場合はというと、解決策は「動機づけ要因を工夫するパフォーマンスマネジメント」にあるとのこと(p.95)。ちなみに、これは本書の射程外。

シートベルトの着用率の問題を例として、この問題の原因は《動機づけ》にあるとし、「問題の原因を取り違えて、インストラクションでは解決できないことをインストラクションで解決しようとしていた典型的な例である」(pp.95-96.)と指摘している。

これは…!!今まさに「道徳の教科化」で行われようとしていることではないですか。つまり、問題の原因を取り違えているということ。よく言われる道徳に関する問題の大部分は、「知っていて」かつ「できる」けど、「やらない」ということ。結局、「やらない」ことが問題なのに、教科化して《知識》や《技能》を強調しても意味がないのでは…。

「インストラクションが本当に必要とされているかどうかを確認すること。当然のようだが、これを忘れるとこれから先の仕事がすべて無駄になってしまうかもしれないから要注意である」(p. 92)。

限りある労力を無駄にしないために要注意である。

2013年3月27日水曜日

方法論と方法(Methodology and methods)

方法論と方法(Methodology and methods)

「方法論は枠組みを、方法はデータ収集の手段を規定する。」(p. 109)

Hammond, M., & Wellington, J. (2013). Research Methods: The Key Concepts. London and New York: Routledge.

基本的なことなのだろうけど、明快。

2013年3月16日土曜日

宴のあと

今週、毎年恒例のお祭りが終わりました。
年度末近く、ここを離れる人がいます。
そして、その人を見送るために集まる人がいます。
毎年何人も見送り、一方で再会し…わたしも早くここを離れたいような、そうでもないような。
泣いても笑っても、あと一年。

2012年8月8日水曜日

【議事要旨】日本語指導が必要な児童生徒を対象とした指導の在り方に関する検討会議

【議事要旨】日本語指導が必要な児童生徒を対象とした指導の在り方に関する検討会議

公立学校における日本語指導の制度化に向けた話し合いが行われています。
第1回会議(平成24年4月24日)の議事要旨が公表されました。

議事要旨(第1回)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/clarinet/kaigi/1324259.htm

議題:
1.公立学校における日本語指導に係る「特別の教育課程」創設について
2.「特別の教育課程」として位置付ける日本語指導の在り方について
 ・指導内容、形態及び場所について
 ・主たる指導者について
 ・他校における通級指導について
 ・児童生徒の指導計画について

2012年7月26日木曜日

「日本語指導が必要な児童生徒を対象とした指導の在り方に関する検討会議の設置について」

「日本語指導が必要な児童生徒を対象とした指導の在り方に関する検討会議の設置について」

平成24年4月11日に設置が発表され、4月24日に第1回の会合が開かれました。
(http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/clarinet/kaigi/1321199.htm)

今後の動向に注目です!

明石欽司『ウェストファリア条約――その実像と神話』

明石欽司『ウェストファリア条約――その実像と神話』慶應義塾大学出版会、2009年.

ウエストファリア条約によって主権国家体制が確立された、という「神話」を問い直す著作。まだ読めていないのですが、書評を二つ。

君塚直隆「書評: 『ウェストファリア条約 その実像と神話』」(2009/08/17)

遠藤乾「書評: 『ウェストファリア条約――その実像と神話』」(外交フォーラム2009年10月号)


余談:
あっという間に6月が終わり、7月に…。学会シーズンでだいぶ更新がとまっていました。夏季休業に入り、じっくりと文献を読める&考える時間が…うれしや。

2012年5月13日日曜日

【書評】大澤真幸―古市憲寿・本田由紀著『希望難民ご一行様―ピースボートと「承認の共同体」幻想』


【書評】大澤真幸―古市憲寿・本田由紀著『希望難民ご一行様―ピースボートと「承認の共同体」幻想』
(http://book.asahi.com/ebook/master/2012030600001.html)

目的性と共同性に関する考察がおもしろかったです。問題提起は以下の通り。
「本書で古市氏は、目的性の軸と共同性の軸を直交するものとして、つまり独立の次元として導入している。…だが、二つの軸の間には、非常に微妙な関係があるのではないか。」

主張の骨子:
人間の最終的な幸福の源泉は共同性にある。しかし共同性を深めるために、共同性だけを追求してもそれを得られない。共同性はある目的性を媒介としたときのみ、深めることができる。言い換えれば、深い共同性はある目的を追求したときに生まれる副産物なのである。目的の追求には葛藤や裏切りの可能性が秘められている。そのような側面があるとしても、目的に執着することこそが共同性を深化させるのである。

コメント:
経験に照らしても、非常に納得できる主張である。しかし、気になるのは、なぜ共同性のみ追求するとうまくいかないのか、という点である。ここについては、大澤氏も「そこがふしぎなところである」と述べるにとどまっている。

わたしがこの点に興味をもつのは、社会の共同性に関連する価値それ自体を目的に据えた教育活動の不可能性を提起しているように思えるからである。例えば、シティズンシップ教育や道徳教育など、ある社会的な価値観の共有を主要な目的とする教育活動が抱える根本的な問題を提示しているのではないだろうか。

共同性に関連づけて、「なかまになる」というテーマを設定したとしよう。例えば授業で、なかまになることに関するいろいろな話を読んだり、聞いたりするとする。しかし、この作業自体は直接に「なかまになる」ことにつながるわけではない。それ以上に、運動会や文化祭で一緒に具体的な何かをするという場面にこそ、「なかまになる」ための契機があるように思う。そのような行事でなくても、班で一緒に給食の準備をしたり、掃除をしたりすることでもいいだろう。(もちろん、ケンカやもめごとがつきまとうのだが。)

「なかまになる」ことを直接に追求することの不可能性は何に起因するのだろう。

【審議会情報】「定住外国人の子どもの教育等に関する政策懇談会」の意見を踏まえた文部科学省の政策のポイント

【審議会情報】「定住外国人の子どもの教育等に関する政策懇談会」の意見を踏まえた文部科学省の政策のポイント 現在の進捗状況について
(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kokusai/008/toushin/1320830.htm)

2010(平成22)年5月19日に公表された「定住外国人の子どもの教育等に関する政策懇談会」の意見を踏まえた文部科学省の政策のポイントにおいて記載されている3~7までの項目についての進捗状況の報告。

3.「入りやすい公立学校」を実現するための3つの施策
4.学校外における学習支援
5.外国人学校における教育体制の整備
6.留学生に対する日本語教育や就職支援
7.更に検討を要する課題