2010年7月28日水曜日

塩原良和「『連帯としての多文化共生』は可能か?」

塩原良和「『連帯としての多文化共生』は可能か?」(pp.63-85.)
岩渕功一編著『多文化社会の<文化>を問う―共生/コミュニティ/メディア』青弓社、2010年.

※前回の読書会での課題文献の再読。

構成:
はじめに/1 福祉多文化主義と新自由主義的「改革」/2 「多文化共生」の制度化への批判の意図せざる帰結/3 本質主義批判の意図せざる帰結/4 対等な関係性づくりのプロセスとしての「多文化共生」/5 多文化共生に向けた「協働」/6 「協働」から「連帯」へ?/おわりに

要約:
日本における「多文化共生」政策・言説批判(すなわち、エスニック・コミュニティの制度化と本質主義化への批判)は、新自由主義的な改革と親和的である。そのため、制度化や本質主義化への批判的思考を前提としながらも、エスニック・マイノリティのエンパワーメントを可能にする施策のあり方を模索すべきである。

コメント:
・制度化と本質主義化がどのような相互作用にあるのかが論じられていなかった。この部分は行政(政策)対応の避けがたい課題だと思われる。この点をどのように克服していくのか。行政との距離の取り方の問題?
・H氏によればこの著者は「多文化主義者」に分類される。論者によるアプローチの違いを図式化しておく必要があるかも。
・「(多)文化的市民権」に関する論理展開に注目。「文化は経済・社会構造と切り離して考えることはできない。なぜなら、文化には個人がそれを活用することで経済・社会的上昇を達成するための資源という側面があるからである。そのため、ある社会での言語・習慣・価値規範・信仰などの文化的価値が平等に承認されていなければ、それを経済・社会的な資源として活用する可能性も不平等になる。したがってエスニック・マイノリティ集団に対する社会経済的不平等の是正は、そうしたマイノリティ集団の文化の平等な承認、すなわち(多)文化的市民権の保障と密接不可分である。」(p.65)ここでは、「エスニック・マイノリティ集団」が成立する時点で、ある社会(=国家)は文化に対して中立ではないという前提がある。

[7/28―構成追加、要約修正]
[8/11―コメント追加]

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