梅棹忠夫『知的生産の技術』(岩波新書F93)、岩波書店、1969年。
構成:
はじめに/1 発見の手帳/2 ノートからカードへ/3 カードとそのつかいかた/4 きりぬきと規格化/5 整理と事務/6 読書/7 ペンからタイプライターへ/8 手紙/9 日記と記録/10 原稿/11 文章/おわりに
引用:
「研究生活における基礎的技術みたいなものは、研究者のあいだでも、意外に議論されることがないのである。」(p.6)
「この本は、はじめから個人を対象にしてかいている。…知的生産は、どこまでも個人においておこなわれるもである。」(p.19)
「整理は、機能の秩序の問題であり、整頓は、形式の秩序の問題である。やってみると、整頓よりも整理のほうが、だいぶんむつかしい。」(p.81)
「整理や事務のシステムをととのえるのは、『時間』がほしいからでなく、生活の『秩序としずけさ』がほしいからである。」(p.95)
「よみおわって、読書ノートとして何をかくのか。…わたしにとって『おもしろい』ことがらだけであって、著者にとって『だいじな』ところは、いっさいかかない。」(p.113)
「文章をかくためには、まず、かくべき内容をかためなければならないのだ。」(p.201)
コメント:
知的生産に関わる情報処理の問題は今も昔も変わらないのですね…。もちろん、その質は変わっているのでしょうが、一人の人ができる情報処理に限界があることは事実。それをどのように積み重ねていくのか。このような技術(スキル)についての情報共有ができていないのは確かにもったいない。経験の蓄積がない。一から学び直しになってしまう。もちろん、そのような技術を知っていることと、それを地道に実行できるのかは別の問題ですけれど。「研究生活における基礎的技術」のようなものの定式化を行っていく必要があるのでは?
[7/28―構成&引用追加、コメント修正]
2010年7月26日月曜日
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